わたし発達障害ですが、あなたになにかを強いるつもりは一切ないのよの話
タイトルそのまんまですが。
最近おすすめのノートに、「発達障害/HSPだから何よ」「理解しろ、配慮しろと言われているようで嫌」「偽HSP」ということばをおすすめされるので、
おすすめしてくるnoteに言いたくなったんですよね、
「わたしは発達障害当事者/HSPですが、困ってないし、よそ様に理解や配慮を強いるつもりは1ミリもないです!」(笑)。
もちろん、わたしは周りの人に助けてもらって生きています。
でも「わたしは障害者なんだから、あなたはわたしに配慮すべき」とか思ってねーのよとやたら勧めてくるnoteに訴えたい。
そもそも発達障害/HSPってなんじゃい
すごくざっくりわたし訳すると、
「世の中には環境からすんごい影響を受けやすい人がいて、それは感覚を処理する感受性がすんごい高いからだと言われているよ。みんなそういう感受性は持っているんだけど、影響の受けやすさが違うわけよ。
精神疾患ではないし発達障害でもなくて、お医者さんの領域でもないから心理学やってる人の間に使われている概念だよ。
結構新しい概念でまだまだ研究中☆そもそもこの概念自体どうよと言ってる人もいる。
HSPの人の中にも低・中・高で分類があることは分かってきてて、その人が持ってる他の要因との組み合わせの影響もあるよ。」
発達障害を端的に言うと
発達障害者支援法において、「発達障害」は「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能障害であってその症状が通常低年齢において発現するもの」と定義されています。(厚生労働省ホームページより)
それをわたしが自身の状態として端的に言い表すなら
「どうもわたしが受けてる五感の感覚と、夫や実家の家族、学校の友達の感覚はだいぶん違ったらしくて、私は自分で刺激を調節しないとやべえことになるけど、ま、もう調節できるから困ってはないわ。影響受けるのは家族くらいかな。」
です。
困っていたことともう困っていないこと
子どもの頃は結構困っていたと思います。
たとえば
・毛糸のタイツや肌着、セーターなどが嫌だったが分かってもらえなかった
・教室の机やいすを一斉に引く音で吐き気や動悸がするくらいしんどいことがあった
・子どもが複数名ではしゃいでいる(教室)と、うるさくて寝たふりをして耳をふさいでいた
・テレビがまぶしすぎて吐き気がする(特に仮面ライダーがなぜかダメ)
→今でも映画館に行って映画が始まると、サングラスをかけます。
・音が外れている、同じ音の繰り返しだとものすごく不快感があり、イライラを抑えるのに消耗する
・どんなにいい人でも声の大きい人や怒鳴るような話し方が辛い
など、私が嫌なことは音、光、触感が多かったと思います。
混んでいる場所に行くと疲れて死んだように寝ていました。
わたしはADHD/ASD併発の2Eという診断を受けていますが、ASDがついたのはこの感覚過敏が社会生活を阻害しているからです。
それから
・出かけた先で怒られている店員さんなどに遭遇すると息が苦しくなり気持ちが落ち込んでそれ以上楽しめなくなる
・お祭りで混んでいる屋台とお客さんのいない屋台を見ると、お客さんがいないことにドキドキしてしまって罪悪感でいっぱいになる
・車の中で犬が吠えながら待っていると心配でその場から動けなくなる
など、心の面からくる行動もありました。
ちなみに、幼い私は上記を一切説明せず、ただ悲しくなり帰りたがる、その場から動こうとしない等だったので、今から思えば、大人から見て奇行が多かったと思います。
なので、親以外の大人の出かける時は相手をがっかりさせそうでいつもヒヤヒヤし、緊張し、おもちゃを買ってあげると言われてもどうしたらいいかわからなくなるタイプでした。
特に感覚過敏な面が思春期にひどかったので、発達障害か?と言われたことがありましたが、
ワーキングメモリ等弱いなあ、図形認知苦手だなあ、と思うことはあっても、やり方を教えてもらったら、普通に社会生活を営んでいく分には、破綻するほど困ることは特になかったです。
(ex.一人暮らしで片づけをしてゴミの日にゴミを出す、仕事の書類を出すなど)
もちろん、忘れんぼで困る~とか、片付け苦手~とかは全然あり、診断を受ける前から自分で自分を研究し、書籍や情報を基に対処してきました。
子育てするまで特別に発達障害のために診察を受けることはなく、子どもと向き合うために自分のことを知りたいと思って検査→診断というパターンでした。
どちらかと言えば、これも同様に何度も言われた「感受性が強すぎる」(=HSP)の方が自分の表す言葉としてしっくりきていたので、
わたし血液型A型なんですよ
とか、
わたしアレルギーなのでネコ触れないんですよ
と同じレベルで、
わたしHSPなんですよ、ははは
と言っていました。
今は、
わたし発達障害当事者なんでできないこともあるんですけど、なんか気になることや不安・不快なことあったら遠慮なく伝えてくださいね。
になりました。
単に自己紹介的なとこもあります
なんでわざわざ発達障害/HSPっていうのよ!傷つきやすいから気を遣えってことでしょ!障害者だから配慮しろってこと?
と暗に言われたことは何回かありますが(直接自分のことをその人に言ったのでもないが…)、
でもそれって
あなた血液型A型って私に言うってことは、私は神経質で真面目なんだから私の清潔レベルに合わせて遅刻もゼッタイするなって言いたいのね!ふん!
って突然キレだすのとおんなじ感じだとわたし思うんですけど、どない?
(A型の皆さんごめんなさい。「A型の特徴」でググって書きました)
わたしが発達障害/HSPって伝える時の理由は、
①自分なりに刺激を調節していることが周りから見て奇行なことがあるので、驚かせないように、傷つけないように
(うちの夫はデートで映画見に行って、サングラスかけたのを見て爆笑してました)
②そういう人もいるって知らせたい時もたまにある(外国に行って日本を紹介する、自己紹介をする、みたいな感じ)ですね。
夫はわたしのことレアポケモンで好き❤️と言ってます。
べつに普段から「わたしレアポケモンなんですーーー!!!」って言ってまわりたいわけじゃないけど、
「言っておかないと爆ぜる!!(自分が/この場が)」とかだと
「すみませんそれは無理!→こういう特質があるので!→それは発達障害だからなんで変えられないごめん!」
てなる感じですね。
誰彼かまわず困っているから配慮してくれい!てことじゃない
わたしがなんで今あまり困っていないかというと、ある程度、境界線(バウンダリー)を確立しているからです。
どれが自分の境界線内のことで、どれが相手の境界線(もしくは、自分以外の)か、ということを常に整理していくという習慣があるので
今も、悲しんでいる人を見ると、悲しい気持ちになる瞬間はありますが、
そうっと自分の中で、自分とその悲しみを切り離していく(相手の悲しみだよね、と自分の思考を整理する)、
相手が怒っていても、その感情と行動は相手の選択で、わたしのではない、と言語化し、整理します。
もちろん自分に非がある場合は正面切って謝ります。謝れるって恵みだと思う今日この頃。
逆に、「なんで○○してくれないの!」という怒りを持つならそれはお門違い(相手のことは、相手が決める)、
「○○なんだから○○するべきだ」というのは、それを実際にやる相手が決めること、人が言うことじゃねえと思っています。
特にわたしはクリスチャンですが、
「クリスチャンなんだから〇〇すべきだ」と他人に言うの、わーすげーやだー、て思いますわたしは。
それ言っていいの神だけじゃね?てなります。
邪心なく、聖書にこう書いてあるね。。。。でギリギリじゃないですか?て思うけど言わないよ。うん。(書いてる)
あなたも私も自由で、責任を負う存在
相手から障害などを告げられた時にしんどい気持ちになるのは、
配慮や助けを「しなければならない」と暗に強制された気持ちになるからではないですか?
そして実際そゆ人もいますね。でもそれはただの困ったちゃんです。
発達障害当事者から見てもそゆ人は「困ったちゃんですねー」です。
「他人の領域(境界線)の侵害」と発達障害はイコールではないのです。
発達障害者もやる人はやる。定型発達の人でもやる人はやる。
どっちにしたって困ったちゃんです。やってることがね。
ASDの特性で、自分とそうでないものの区別がしにくい場合、そういう状態になってしまいやすい、というのはあるのではないかと思います。
相手が障害者だろうが妊婦だろうが子連れだろうが、
わたしがどう振る舞うかはわたしの自由であり、わたしの責任で、わたしの行動の結果をわたしが負うことになる、
そこに相手の属性はあまり関係ないんですよね。ほんとはね。
(*仕事上、障害者に対しての配慮が義務付けられている方は、法に従ってくださいとは思ってます。類することも同様に。)
たぶん世界はかなりシンプルです。
そして人間はめっちゃ複雑だなあと、わたしは思っています。
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