中高生への恋愛結婚講座にて~一例としての結婚の証し
(2018年8月に教会に来ている中高生を対象とした、恋愛結婚セミナーで
話した証し部分を抜粋しています。)
①はじまりは「この人超かっこいい」
私はノンクリスチャンとして高1まで生きていました。
中学生のときは、彼氏がいないこともそんなに目立ちませんでしたが、
高校生になると、周りの空気が変わってきたのを感じました。
中学生のときより、彼氏がいることは更に当たり前の空気になり、なぜ彼氏を作らないのかと頻繁に尋ねられるようになりました。
ちょうどその頃、わたしはクリスチャンとなりました。
「な、なんとなく、クリスチャンになったら気軽に付き合ったりしてはいけないような…?
(でも周りのクリスチャン、付き合ってるよな…?ならいいのか…?)」
そんな時、一冊の本を貸してもらいました。それが、ジョシュアハリスという人が書いた、「聖書が教える恋愛講座」という本でした。
恋愛関係は、結婚を目指して始めるべきものであること。
たった一人の自分の結婚相手のために、祈って自分をきよく保ち、その人のためにイエス様と歩む。
はじめて知る生き方に、私は「この人超かっこいい」と思い、これだ!こういう恋愛結婚をしよう!と思いました。
(注釈:その後、著者自らが、この本の内容に関して否定する旨の声明を公表していることを記しておきます。)
そしてそれ以後、今の夫と付き合うようになるまで10年、誰ともお付き合いをすることはありませんでした。
②10年にわたる壮絶期の頃の話
と、言葉にするのは簡単ですが、私にとっては壮絶な10年でした。
結婚を考えたとき、私は絶対にクリスチャンと結婚したいと思っていたので、自然に学校の友達と付き合うと言う選択肢はなくなりました。
高校を卒業してクリスチャンしかいない大学へ進学したものの、
クリスチャンであっても恋愛結婚についての考え方はかなりそれぞれであることを知りました。
葛藤しながら、自分はこの生き方、つまり、
「結婚の準備が出来て、真剣に結婚を考えられる相手でなければ
個人的には付き合わない」と決心することの繰り返しでした。
私は自分に自信もなく、彼氏がいないのは単に自分に魅力がないからでは?という思いにさいなまれて、「自分はこの人にとって特別な存在だ」と思える相手がいるのはいいなと憧れる気持ちは強くありました。
自分が弱いのは分かっていたので、私は自分を見張ってくれる人を持ちました。それは、自分の教会の牧師先生や、もう結婚しているクリスチャンの
先輩、また同姓の信仰の友でした。
自分の結婚のために一緒に祈ってもらい、アドバイスを求め、ダメなことはダメと言ってもらいました。また、婚約式が終わるまで、ずっと右手に指輪をしていたのですが、それは自分が決心したことを忘れないようにするためのリマインダーでした。
そうやって過ごす歩みの中で、多くのことを神様に教えられました。
「この人が好きだなー」と思って祈っていても、結局自分には愛がなく、
その祈りの目的は自分自身のためであると気づかされたり、
相手のことを考えるより、相手が自分に何を与えてくれるのかを計算している、どこまでいっても自分中心な自分の姿を知る機会になりました。
そもそも男性を尊敬できない自分の高慢な姿や弱さを知りました。
同時に、神様が私に何を望み、期待しているのかも、年を重ねるにつれて、はっきりしてきました。
それは、神様は私に献身を求めておられる、ということでした。
中途半端な生き方ではなく、教会生活も、仕事も、そして恋愛、結婚についても、本気で神様のために、神様の栄光を求め、イエス様のために生きてほしいと願っていてくださるということでした。
③自分自身を知り、使命を知り、生き方を決めたら
そのことが分かっていったとき、自然に、結婚を考えることの出来る相手は限られていきました。
それは、同じように、人生の全領域で神様の栄光を求めて生きて生きたい、イエス様のために生きていきたいと願い、お互いに完全ではないにせよ、
そのことが分かる生き方をすでにしている人でなければ、結婚して共に歩むことは出来ないことがはっきり分かったからです。
そこまで自分の使命、生き方がはっきりし、社会的にも働いて独立できるようになったとき、26歳でした。
そのすぐ後、牧師を通して、今の夫と、結婚を前提としてお付き合いをすることの提案があり、お付き合いを始めました。
(*これはクリスチャンの中でも結構独特な部類だと思います。わたしが病気をしていたりそれを気に病んでたりで、普通のステップ踏ませたら始める前に潰しそうなわたしを熟知していた親代わりが介入した、が正しい)
10年も誰とも付き合ってなかったのに、始め方もめちゃくちゃ独特なのに、
それでも夫とお付き合いすることに関してあまり迷いがなかったのは、
夫のことが好きだったからというより、彼がどんな人なのか知っていたから、ということの方が大きかったです。
(*いや、好きでしたけどね普通に。)
教会学校で一緒に奉仕をしてきたこと。
出会った頃は信仰に対する確信がないと聞いていたけれど、
ここでイエス様にはっきりと出会い、
涙を流して、イエス様のために生きていきたいと、礼拝の全会衆の前で告白する者へ変えられていった姿を見てきたこと。
夫が御心の人だ!と思ったというより、自分がこの人生で果たす使命を考えたときに、夫が神様の御心の内にある人だということを知っていました。
④人生で震えた事件ベスト3に入る話
お付き合いをはじめて知ったのは、夫がどれだけ真剣にわたしのために祈っていてくれたかということ。
3年近くも、まったくそんなそぶりを見せずに、わたしのために祈ってくれたことを知ってびっくりしました。
それから、夫にとって私が初めて好きになった女性で、付き合った人だと知りました。
その話を聞いたとき、思い出したことがありました。それは、ずっと私の結婚のために祈ってくれていた、教会の母的存在の方の祈り。
いつぞやのメールに書いてあったこと。
「カヨちゃんの将来の伴侶も、まだ見ぬ相手に思いを寄せ、
祈りつつ、期待しつつ、たった一人の女性を待ち続けているよ。
忍耐しながら。御言葉に信頼しながら。
共に、待っててよかった。間違ってなかった。
そう分かち合う日を迎える。」
わたしは当時メールで彼女のこの発言を聞いたとき、なんという親バカ的発言と思い、照れて笑いました。
いろんな現実を見てきた中で、たった一人の女性を待つ男性なんて、現代にいないでしょと思っていました。
でも、今、目の前に座っているこの人が、彼女の祈りの答えであり、
私たちが出会うずっと前から、神様が彼をそのように導き、
彼がイエス様の守りの中、そのように歩んできたことを知ったとき、
私は足元からぞっとして震えました。
祈りと、神様ご自身を侮っていたことに対して畏れを感じると同時に、
神様は生きておられる、と思いました。
その時、まだ私たちは結婚すると決めていませんでしたが、
わたしは自分が祈ったこの10年はもう報われたとその時思いました。
たとえ彼と結婚しなくても、神様が何でも出来る方、今も生きて働いておられる方と目の前で見たからです。
⑤その後の話
その後、お互いにこの人と生きていこうと決断して結婚して、もうすぐ2年経つけど、思っていた以上、期待していた以上に、結婚は最高です。
(*2023年現在、もうすぐ7年。今も最高です)
神様が定めておられる結婚と言うのは、こんなに素晴らしいものなんだと思うし、付き合う前や交際中、結婚したばかりのときより、今の方が夫のことを好きだし、尊敬しています。
もう一度全部振り出しに戻して、誰でも好きな人を選んで結婚していいよと神様に言われたとしても、夫と結婚したいと思う。
でもそれは、夫が素晴らしいから、私がどうだから、ではなくて、ただ神様の恵みです。
神様は、ご自身を信頼して従う者に、頭で考えられる以上の祝福を与えたいと願っておられる方だと、私は結婚を通して確信を持ちました。
私は、私のやり方だけが正解だというつもりはありません。
私は神様の栄光を現すために結婚したい、そのためのお付き合いをしたいと願いながらも、葛藤し、心の中で何回も失敗しました。
それでも神様は私の思いを受け止めてくださり、想像以上に幸せにしてくれました。
それは、ここにいる全員に、神様がしたいと願っていることだと思います。
私はみんなが将来、どんな大人になって、どんな人と結婚したいと思うのか、本当にすごく楽しみだし、心から幸せな結婚をしてほしいと願い、祈っています。
そしてわたしも、ずっと自分の結婚を大切にしていきたいです。私たちのためにもお祈りしてね。
今日は聞いてくれてありがとうございました。
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