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言葉を超えたコミュニケーションを感じるために、ジャズを聴きに行く


思考を止めて、ただ感じることに浸る時間

1年半ほど前から、ほぼ毎月ジャズライブに通っています。「何がそんなに私の心を掴んでいるの?」と訊かれる度に、何て答えようかちょっと迷います。なぜなら、言葉でこう!と言えないことがおそらくジャズの良さだから。

言葉にした途端に、何か大事なことが失われてしまうような気がする。でも、私はPRなので、なんとかこの素敵さを言葉でお伝えしたい。そのジレンマにいつも悩みます。

でも、あえて言葉にするならば「思考を止めて、ただ感じるという時間を持てること」かなと思います。

私は言葉で世界を認識するタイプなので、日常生活ではいつも頭の中であれやこれやと考えています。「あれはこういうことだな」「これとこれはこういうふうに整理できるな」「こうする前にこうしておこう」など。

それ自体は悪いものではなく、むしろ仕事では強みとされるものだと思いますが、そればかりだと自分の中のバランスが悪くなって疲れてしまいます。

そんな私がジャズライブに行くと、ひととき考えることをストップすることができます。これは、私の日常生活の中であまりない貴重な時間です。

演奏が始まってすぐは、いつも通り「これはなんだろう?」と考えようとするのですが、いつの間にか良い意味でぼんやりとしてきて、ただ感じるという世界に浸っていることに気づきます(いつもとは違う頭の部分を使っているような感覚があります)

そして終わると、なんだか心地よかったなーという余韻の中、また次の予約を入れてしまうのです。

言葉を排除するためではなく、言葉を豊かにするために

自分でも面白いなと思うのは、普段は言葉を使う仕事をしているのに、ライブでは歌のあるものよりも、楽器演奏のみ(インスト)のものが好きなことです。おそらく歌詞があるとその意味を考えてしまうので、それに引っ張られずにただ感じたいという気持ちがあるのだと思います。

そして私にとっては、言葉を排除するために聴きに行くのではなく、むしろ自分の言葉を豊かにするために行っている感覚があります。

言葉なんて、何もなくてもいくらでも捻り出せるでしょと思われるかも知れませんが、実態の裏打ちのない、表面的な言葉では嘘くさくなってしまう。なので、言葉で切り取れないもっと大きな世界があることを感じた上で、そこから溢れ出るような言葉を紡ぎたい(たとえその一部しか表現できないとしても)、いつもそう願っています。

そして、ジャズはいつも、私にそんな大きな世界を見せてくれます。

人として根源的な音楽的コミュニケーション

さて、ゴリラ研究で有名な京都大学の山極壽一先生は、「人類の進化史の99%は言葉がなく、人間は元々音楽的なコミュニケーションでつながっていた」とおっしゃっています。

言葉を使うようになった今でも、その感覚はよくわかるような気がします。言葉や話し方にトーンやリズムを持たせたり、身振り手振りを交えたり、動きを合わせたり。音楽的なコミュニケーションというのは、今でも私たちの中に残っているのではないでしょうか。

そして、ジャズもまたコミュニケーションなのだと、演奏される方たちは言います。精緻な理論と自分の感性をベースに、日々研鑽を積まれているミュージシャンが集まり、掛け合いの中から一緒に音楽を創造していく。ひとりで演奏する場合もありますが、複数人でのセッションというのが、やはりジャズの醍醐味の一つだと思います。

その見ていて楽しそうなこと!アイコンタクトしてリズムや音を合わせたり、誰かのアドリブに「お、やるなー!」みたいな顔をしたり、「次はあなたどうぞ」と順番に見せ場を渡したり。言葉がない分、もしかしたら、人としてより根源的なコミュニケーションを見せてもらっているのかも知れません。

そして一流のプロの皆さんが見せてくれる世界の美しいこと。それぞれが卓越したスキルがあってこその調和した世界は、とても同じ人間技とは思えません・・・オリンピックの団体競技とか、サッカー日本代表のチームプレイとかを間近で見ているような、とても贅沢な時間です。

そんなジャズライブ、おすすめです。



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