ポティのこと(2023.12.26.記)

今朝は何故か嗚咽で眠れませんでした。眠れないこともひどく泣くことも最近はよくありますが、何かが違うなとなんとなく思っていたらポティが吹田に行ったと知りました。
私は京都の113系のことをポティと呼んでいました。117系がマロンのように、電車にみんな名前をつけます。ポティはフランス語でかぼちゃのポティロンからで、113系がオレンジと緑のカラーリングからかぼちゃ電車と言われることがあるからです。
これで向日町にみどりがいなくなりました。元の輝かしい誇らしい素晴らしい色が緑に塗り替えられどんなに悲しんだことでしょう、でもどんな色になっても走らせてくださっていることにもっともっと感謝しなければならなかったと今では思います。
マロン命の私はポティにはマロンほど乗りませんでした。でももちろん大好きです。思い出がいっぱいあります。旅行のため京都駅で家族と待ち合わせることがよくありましたが、一緒に向かう時、「京都までどうしてもマロンの時間に合わせて行きたい」、などといい出せませんでした。1人ならいくら待ってもいいですが、迷惑をかけてしまいますから。そんな時必ず来てくれるのはポティでした。ポティのなかで楽しそうにしている家族の笑顔が忘れられません。他にも、どうしてもマロンに乗れない時はよくポティがきて、そっと見守ってくれていたことに、今年の4月以降思い起こされて、だんだんと、悲しいながらも心があたたかくなっていくのでした。
湖西線、草津線最後の日の2023年3月31日、マロンに乗って柘植まで行って伊賀を旅し、翌日帰って来たあと、悲しくて草津線ではなく関西本線等ほかの電車で帰ってきました。そのあとマロンが走っていないか長い間京都駅3番ホームで待ちました。草津線から回送のポティが来ておかえりと言ってくれました。それが、本線を走るポティを見た最後となりました。マロンは湖西線で午前中での定期運行を終えていました。

草津駅ではマロンが発車まで30分くらいとまる時があります、その間にポティは先に発車します。草津線の鉄道員さんは皆とても親切で、いつもマロンでなんだか一生懸命食べたりしている乗客に、「あちらの電車のほうが先に発車しますがよろしいですか」と言わなければならないのでした。その瞬間、走井餅がびよんと伸びていたりして恥ずかしいものでした。でもポティでおぜんざいを食べたことがありました。と言ってもホームに売っている缶のです。小豆の色とポティの座席の肘掛けの色が同じで嬉しかった。
ポティがいっぱいいてそのあいだにマロンがいて、その和やかで優しい世界、その貴さを新たに思い知る日々です。
岡山にもその風景はありました。でも色も形式も機器も微妙に違うからその地域の電車たちは例え仲間でも違う、かけがえのない存在だと思います。
まだまだこの世界が信じ難くつらいですが、今もまだ駆け抜ける優しいポティやマロンとともに過ごせることに感謝して思い出の中の彼らとも新たな時を刻んでいきたいです。
(2023年12月26日 4:16記)

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