私の新聞奨学生生活⑴セクハラ編
「火のないところに煙は立たない」なんて嘘だ。おとなが本気になれば、火の気のないところに煙を立たせるなんて簡単なこと。そして轟々と燃え立たせて、飛び火させて、女子学生ひとりの人生を燃えカスにするなんて朝飯前。
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新聞奨学生の朝は早い。午前2時半には起きて店内の自転車を表へ出し、作業台を広げ、受け入れ態勢を整える。そこへ2時50分、配達車が止まり、道端へ印刷したての新しい新聞を束で投げおろしていく。
それを作業台へ運び、前日に組んであった広告を手作業で挟み込む。ひとり450~500部受け持つから、猛スピードでやってもそれなりの時間がかかる。挟み込みが終わり次第、自転車へ積み上げる。荷台に80㎝ほど、前かごには身長よりも高く積む。3時40分出発。
一軒一軒走って配って、終わるのは早くて6時。朝ご飯を食べて、浴びて、着替えて大学へ。(ここで気を抜くと記憶喪失。夕刊の時間に自室の戸をがんがん叩かれて目覚めることになる)授業が終わったら飛んで帰って夕刊配達。
配達終わったら集金と新規開拓。遅くならないと帰ってこないお客さんもいるので、夜10時まで回る。帰ったら集計と所長へ提出。お風呂と夕ご飯。ここから寝るか、勉強するか。
大学のレポートが迫ってくると、大学のすぐ裏の店配属だった私は、大学の24時間開室の自習室にこもっていた。PCも完備、明るいし、人目があるし、記憶喪失にはなりにくい。それでも襲い掛かる睡魔と戦いながら、必死でレポートを進める。
新聞が届く時間に自習室を出て、店に転がり込む。そのまま朝刊の準備と配達、朝ご飯…と一日が流れる。
そんなある日、同僚の学生からこっそりこんな話を聞かされた。「麓さん、夜中時々いないけど何してるの?所長と奥さんが援助交際しているって疑っていたよ。ほんとうに売春してるの?」
えんじょこうさい?ばいしゅん?
なにを言われているのかわからなかった。
自分でもうんざりするほど、品行方正を人型にしたような学生だった私。小学校からずっと優等生だった私。援助交際も売春も、どちらも私の世界にはない言葉だったから。
18年前の話。
目次
~⑴セクハラ編
*お客さんからのセクハラ
*職場でのセクハラ①~⑧
~⑵パワハラと給料未払い編
*パワハラと給料未払い①~⑩
~⑶過労・うつ・自殺未遂・産婦人科・退会編
*そもそも初めからおかしかった①~②
*過労でうつになり自殺未遂して倒れたら産婦人科に連れていかれた①~③
*退会前後に言われたこと①~③
*私は両親を消費者金融に通わせた
*私は完全におかしかった
お客さんからのセクハラ
私が配っていた新聞は一般紙だったから、柄がよくないお客さんもたくさんいて、特に集金の時にセクハラを受けることがあった。当時の私はそれがセクハラだなんて認識していなかったけれど。
①「お前処女だな」→「もう処女じゃないな」
大学の脇道のアパートに住んでいる男性のお客さんのところに集金に行くと、何かしらエロいことを言われるのが常だった。初めて集金に行った時は、自慢げに「俺は、女が処女かどうか見分けるのが得意なんだ」と言って少し下がり、私の全身を舐めまわすように見た。
そして、「ねえちゃん、処女だな。まだ誰ともしたことないだろう?まっさらだな」と言われた。私は曖昧に笑って新聞代を受け取り、お礼を言って引き下がった。そんなことが毎月だった。
秋のある日、買い物をして歩いていた私は、その男性客に道端でばったり会った。バカまじめに頭を下げた私を見送り、そいつは大声で叫んだ。
「あ!お前、もう処女じゃないな!セックスしたな!」
恥ずかしさと気持ち悪さで震え上がった。(詳しく知りたい方はこちらの記事をどうぞ→「おまえ、もう処女じゃないな」と街角で叫ばれた夕方)
職場でのセクハラ①∼⑧
お客さんからのセクハラよりも大っぴらに、だけど巧妙に行われたのが職場でのセクハラ。職住一体の職場だったから、常に近くにいるひとから受けるセクハラは気づけない。気づいたらここにはいられない。ここに居られないと大学に行けない。だから私は気づかないふりをした。ひたすら鈍感へと突き進んだ。
①所長におっぱいチョコを渡された
夕刊前に大学から帰ってきた私に、販売所の隣の料理屋から出てきた所長が「おい」と手招き。「なんですか?」と近寄った私に、「ほい、これやるよ」とニヤニヤしながら渡してきたのが小さな袋。
なんだろうとこねくり回している私に、やっぱりニヤニヤしながら「ほれ、おっぱいチョコだよ」という。それでも私はわからない。日中、街中で、りっぱな大人の男性が、「おっぱい」などと発言するなんて思わなかったから。
あのチョコ、どうしたのか?記憶にない。
②肉じゃが作ったら「頭のいい女の子は料理できないと思ってた」by学生
食事の出ない販売所だったから、時々台所を借りて、自分で好きな料理を作っていた。小学生から料理はしていたし、高校3年の受験期には家事の担い手は私だったし、家族の夕食を丸ごと作る程度はできた。
ある日肉じゃがを作っている私を見て、同僚の学生のひとりが「麓さん、料理できるんだ?」と不思議そうに言う。「頭のいい子ってご飯も炊けないんじゃないの?」他の学生も「早稲田行ってて肉じゃがはすごい」
彼らの一連の発言を褒め言葉と受け取った私はバカだ。でも、そう受け取れたから、私はその後も奨学生を続けることができたのだ。要、鈍感。
③「毛深いな、剃らないの?」by専業
60代の従業員の男性がいた。中学にも行ったとか行かなかったとか。仕事はちゃんとするけれど品のないひとで、他の男子学生曰く「AVにしか生きがいがない」らしい。販売所で唯一の女子学生だった私はその専業に可愛がられてはいた。どんな妄想があったか知らないけれど。
ある日、暑くてハーフパンツで夕食を食べている私をつついて、「ふもっちゃん毛深いな!剃らないのかい?」と陽気に聞いてきた。陽気だからって言っていいことじゃない。真っ赤になったいたたまれなさを覚えている。
そんな発言は日常茶飯事だった。
④女子学生だけ店舗事務あり
トラブル続きだった最初の販売所から異動になった2軒目の店は、女子学生には店舗事務が付随するところだった。異動前に育英会の担当者から聞いた話では、「女の子のことを心配してくれるいい所長夫妻」という話だった。
朝刊配達を終えて朝食を食べ、「お疲れさまでした」と自室に引きあげていく男子学生を横目に、私ともうひとりの女子学生は事務所で伝票整理をしたり、顧客情報を打ち込んだり(それもキーボードが”かな入力”!すごいやりにくい!)。
配達部数は男女同数。どうして、女子学生だけ拘束時間が長いのか。心配するなら早く自室に帰らせて勉強させてほしかった。でも、心配の方向が違ったんだろう。
⑤(携帯のバイブレーションを)「感じた?」by所長
事務仕事を進めていた私ともうひとりの子が、「この前授業中に電話鳴ってさー」「わ!鳴っっちゃったの?」「ううん、バイブだったから音はならなかったんだけどね」と話しているのを聞きつけた所長。
「バイブ?感じたの?」
意味がわからず顔を見合わせた私たち。一瞬遅れて理解した。曖昧な笑い。部屋に帰ってから、「ゾっとした!」「吐き気がしたよね!」と話したのは当然のこと。言い合える仲間がいただけよかった、と今更思う。
⑥ジュース代をズボンのポケットから取らされたby所長
上記「感じた?」発言の所長である。60代くらいの一見紳士なひと。ある時片手の指を骨折してギブスしていた。
ある朝の朝刊配達中に出会って、「かよさん、ジュースおごってやるよ」という。でもギブスの指をポケットに入れられないから、「ポケットの中の小銭を取ってくれ」と。
素直にポケットに手を突っ込んだ私は、親しくもない男性のぬくもりに気持ち悪さを噛み殺しながら、散々探して小銭を掴みだし、缶ジュース1本買ってもらった。
これを書いているたった今、あれから18年も経って気づいたことがある。
入っていた小銭はどうやってポケットに入れたんだ?
あの気持ち悪さは私の気のせいじゃなかった。どんな感覚で私の手の動きを感知していたんだろうか。吐き気がする。
⑦女性器の呼び名の話by所長の奥さん
上記所長の奥さんの発言。
ある朝、やはり事務をしていた私ともうひとりの子が方言の話になっていた、都内の新聞奨学生は全国各地から集まるから言葉もいろいろ。「あの言葉をこっちではこういうらしいよ」「へえ!」みたいなことを話していたら、「いろんな言葉があるわよね」と口を挟んできた。
「○○(そのあとの言葉に呆然としてどこだか忘れた!)では女のひとのアソコのこと、「べっちょ」っていうらしいわよ?いつも濡れているからかしらね!」
「へえ~そうなんですか~」と相槌を打った私たちは顔を見合わせた。どうしてわざわざ女性器の話を持ち出したんだろうか。あの時も今も、理解に苦しむ。ただ気持ち悪いだけだ。
⑧日常的にブラのホックを外されるby所長(他店の話)
朝刊の準備で広告を新聞に挟み込んでいると、後ろを通った所長にブラのホックを外される。それも毎日のように!
という情報は、2年目の春に私の店に異動してきた女子学生に聞かされた話である。その子の専門学校では新聞奨学生が多かったので、他の店の女子学生も「うちも同じ事よくある!」とのこと。地獄だ。
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高校の卒業式が3月8日、育英会に入会したのが3月12日。
入会に向けて最大限に腹を決めていた。ここ以外に居場所はないこと、この方法以外に夢を叶える手段はないこと、どんなことがあっても卒業すること。
入会早々からおかしなことがたくさんあったのだが、そして、おかしいと気づいていたのだけれど、私は気づかないふりをした。気づいてしまったらここにはいられない、ここに居られなかったら大学を諦めるしかない。それはだめ。
鈍感に突き進んで、万事はうまくいっているように見えた。周囲との関係もうまくいき、所長や専業や学生たちと笑うこともできた。これでいいんだと思っていた。
しかし、鈍感は疲弊する。鈍感は心を摩耗する。
おかしさに気づいた時に私は倒れた。そして、抱えきれない吐き気を催す記憶を封じ込めてしまった。あの2年半の出来事は、20年経った今も思い出せない。ここに書いたのはどうしても浮かび上がってくる大きな出来事だけ。それだってその時の感情なんて思い出そうとすると叫び声が出る。涙が出る。
白昼の街中や販売店の床に、裸で転がされる自分の想像に私はずっと悩まされてきた。想像の中でニヤニヤして裸の私を見つめる所長や専業や学生たちの視線がずっと私の肌にこびりついている。想像なのだけれど。
それほどまでにして守りたかった大学は、結局私の手元には残らなかった。
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私がこれからやりたいこと
こんな文章を書いて、今更所長や所長の奥さんや、育英会や本社を謝らせたいわけではない(そんなことも思うけれど)。私はそれよりも、現在勤務している新聞奨学生の現実がどうなのか?を知りたい。パッと見たところ、制度に大きな変化はないようだし、同じことが繰り返されてはいないか。私が経験したことと同じことが今も続いているなら、私は許さない。
私がやりたいことは3つ。
①新聞奨学生にインタビューして現実を記事にしたい
②変えるべき制度のゆがみをあぶりだして提示したい
③新聞奨学生制度を安心して頼れる制度にしたい
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続編はこちらです→⑵パワハラと給料未払い編、⑶過労・うつ・自殺未遂・産婦人科・退会編
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