しま時間と神秘体験
俗世の雑事をわすれて、無に帰る瞬間だった。
静寂だけがあった。
14〜5年前、西表島の東部、由布島に行ったときのことだ。
亜熱帯の太陽と、見渡すかぎりの青い空と白い雲しか見えなかった。
西表島と、ほとんど陸続きの由布島のあいだを、水牛の引く車に乗って渡った。さえぎるもののない広々とした風景のなか、水牛の車は進んだ。
水牛があげる水しぶきの音しか聴こえない。ときどき、髪を揺らして通り過ぎる風が、爽やかだ。
時間が止まったような感じがする。
こういう時は、過去から未来へつづく時間軸の中にいるのではなくて、いま、ここ、にしか存在しない。
水牛を操っているのは、地元の人じゃないことに気づく。
「お兄さん、どこから来たの?」
と尋ねると、
「東京」
と答える。
都会の人が南の島でアルバイト、というのは、よくあるケースだ。
日ごろ、緊張していた人は、南の島に来ると、ほんとうに緩む。神経系がリラックスするのだ。
同じ年に、西表島の網取でキャンプした時も、まったく同様の感覚を味わった。
大自然や宇宙と一体になった感じがして、深い瞑想状態になり、至福が訪れた。その感覚を、なんとか言語化しようと文章にもおこしてみた。
日ごろ、ストレスと緊張がマックスの人は、神秘体験が起こりやすい、と思われる。ネガティブが極まれば、ポジティブに転じる、ということなんだろうか。
あの時の、幸せな感覚とおなじ感覚を、じつは、以前にも感じたことがある。それは、クラニオセイクラルセラピー(頭蓋仙骨療法)という、ボディセラピーを受けた時だ。
石垣に移住する前に、京都で受けたのだが、セラビストが頭蓋骨と仙骨に触れると、呼吸が深くなり、例えようもない安らぎに満たされた。初めての感覚で、とても感動したが、一晩寝て起きたら、その感覚は消えて無くなっていた。
西表島の網取での体験は、クラニオよりさらに深いものがあった。
大自然そのものが、人間を包括しながら人間を超越し、大いなる存在の源にたどり着くはたらきがあるからだろう。
大自然のなかで、私は大いなる存在に守られているから大丈夫なのだという安心感を、身体の底から感じることができた。
このときのワンネス体験は絶えることなく続いて、私の人生の根幹になり、その後の人生を支えてくれている。
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