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楽園瞑想〜母なるものを求めて(8)母の物語


 父と私を引き離してしまったのは母だった。

 今にして思えば、両親は家庭内離婚をしていたようだ。

 いったいどんな具体的事実のせいで母と父が離れてしまっのか。それを知ることは永久にないだろう。


 思い出すのはあの光景。

 薄日が差し込む夏でもひやりと冷たい部屋。そこで母は注射器を洗っている。私はそれを見ている。青緑色のガラス製の注射器と、先端に綿を薄く巻いた注射針をガーゼに包む。いくつものガーゼに巻かれた注射器。それを消毒器の中にすき間無く並べていく。

 母のけだるげな眼差し。手を動かしながら母は不満をこぼす。この結婚がどんなに間違っているかと。子供たちが居なかったらこの家を出て行くのにと。毎日毎日、無防備な子供の私に向かって。私は母を不幸にした父を憎み、母を憐れんだ。そして、心の中で叫んでいた。私はお母さんのようになりたくない。

 この時の母の物語は、私の身体の奥深くに刻まれて、私と母の今日まで続く長い長いバトルの火種になっている。

 子供たち三人は父から引き離されて母のもとで育った。そういうわけで、一軒の家に住みながら私は父とは口を聞いたこともなければ、そばに寄ったこともないのである。


 父に失望した母は、三人の子供たちに望みを託したかっただろう。真面目で厳格な母は、おもいっきり古風な家庭教育を子供たちに施そうとしていた。長女と次女の私を箱入り娘のまま嫁がせ、末っ子の長男に家業を継がせようとしていた。

 従順な長女と大人しい跡取り息子の長男は、母のお気に入りだったと思う。勝ち気な真中の私は母の意に沿わない娘だった。母はことごとく私に厳しく当たった。


 私が小学校六年の時。父が撮ってくれた、あの写真の頃。事件があった。

 学校の先生が言う。お宅のお子さんは成績優秀です。母は何も言わない。気に入らないのだ。成績優秀なのが息子のほうではないのが。私は日頃から女らしくないと、母から睨まれていたのだった。このとき、すごい剣幕で怒られた。頭が真っ白になった。

 その衝撃はいまでも身体に残っている。

 ひどいよ、大好きなお母さん。私の心はぺたんこに潰れてしまった。私は、母にとって良い娘ではないのだ。この時、自由な子供時代は終わった。私は、家でも学校でも何も言わない子供になった。空想癖が始まった。

 私は、早く大人になってこの窮屈な家を出て行きたいと思うようになっていた。そして、お母さんのようになりたくない、とも。私はキャリアガールになるんだ。母の教育は逆効果だった。私を結婚や家庭に夢を持てない女にしてしまった。


 今にして思えば、母に同情すべきところがないでもない。 

 母は儒教の教育を受けた継母から厳しく育てられたらしい。女に高等教育はいらない、と言われ、上の学校に行くことを断念させられたのだった。母は深く傷ついていたかもしれない。自由な私を羨んだかもしれない。

 もっと昔なら、私は母と同じ道を辿ったかもしれない。けれど、時代の流れがそうはさせなかった。私は家から離れ、大学まで出て仕事を始めた。私の思いどおりだった。それから恋をして、予定外だったが結婚した。けれど、子供は持ちたくなかった。お母さんのようになりたくなかった。私が母親になることが想像できなかった。

 三人の子供のうち、母の思いどおりになったのは姉だけである。姉は仕事なんかせずに、お茶とお花の花嫁修業なるものをして、幸せな家庭の主婦におさまった。弟は医学部在学中に引きこもりになって、そのままドロップアウトした。今は塾の講師をしている。そして、真中のこの娘は結婚に破れ、仕事もやめて、南の島を放浪している。かわいそうなお母さん。

 母は厳しい人だった。容赦なかった。優しい言葉なんか一度もかけてくれなかった。怖くてそばに寄れなかった。母を求めながら拒絶した。私は飢餓で狂いそう。


 私は泣いて帰れるお母さんの家が欲しいのです。


 だから、オバアと巡り会ったのかもしれない。

 オバアは深いところで私の気持ちを知っていたかもしれない。オバアは母そのものの人である。

 私は大丈夫なのだ。生まれてきたというだけで受け入れられている。大自然がそう教えてくれているではないか。

 私は確かに守られている。大きな存在から守られている。

 それに比べると、親に受け入れられなかった、ということは、大したことではないのかもしれない。そんなふうに思えてくる。


 私は母に会いに行く気になった。


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(続く)

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