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楽園瞑想〜母なるものを求めて(6)幸福の根拠


 不思議なめぐり合わせで石垣島のオバアと二人暮らしを始めた私。  

 オバアとの束の間の蜜月。

 私は、大自然のふところにつつまれて子供のように自由を取り戻し、皮膚の色もしだいに南の島に染まっていく。


 やがて、私はオバアの家を出て一人暮らしを始めた。

 不義理をしてしばらく顔を出さないでいると、オバアは私のことを気遣って、こんなことを言っているらしい。

 私の子供は何をしとるかね?と。

 オバアの弟が教えてくれる。自転車を二人乗りしてオバアの家に連れて行ってくれた人だ。彼こそ、オバアに会わせてくれた恩人。そして私に言う。オバアにジュース一本持っていけ、と。

 急に暖かいものが込み上げてきて、オバアの家で過ごした日々が鮮やかに蘇ってくる。


 まず、嗅覚と味覚が反応する。いつもオバアのご飯を食べていた。黒紫米の入ったご飯に、ヘチマとポークのチャンプルーや、鶏と鰹の出汁がきいた八重山そば。海人の息子が釣り上げた百八十キロのマグロを、オバアと一緒に見に行った日、その息子が作ってくれたマグロの背骨で出汁をとったソバ。

 娘や息子の嫁たちが差し入れしにきた手料理を加代子に食(か)ませ、と言ってすすめる時のオバアの優しい手の仕種。次々と思い出す。

 それから、私にはまったく解らなかったオバア同士の会話。かんかんガクガク喋っている言葉はすべて方言だから、外国語ほど解らない。一人取り残されて、輪の中に入れない私。と、急にオバアたちは会話を中断して言う。あんたの悪口を言っているんじゃないよ。そしてまた、会話の続きを始めるのだった。

 オバアと私、二人でいる時、オバアは私に昔話を聞かせてくれた。パイン工場で働いた話。家のすぐ前が海で、若い時はよく泳いだ話。戦時中、名古屋の軍需工場で働かされた話。辛かった話、加代子には解らないよ、と言う。

 私は聞いている。時々、うなずきながら。オバアの言うことの半分も解らなかったが。標準語に方言がかなり混じっていたからだ。けれど、オバアは断固として、加代子に話している時は標準語で喋ってる、と言う。私のために、かなり頑張って標準語を話しているらしいのが分かる。そんなオバアの一生懸命な感じは、私の心を暖かで、いい気持ちにさせる。

 私はすっかり子供に帰ってオバアに甘える。

 オバアはかまってほしい時は、かまってくれる。放っておいてほしい時は、放っておいてくれる。そのバランスが絶妙だ。ふだんは私の行動にいっさい干渉しない。なのに、都会暮らしの名残りで朝帰りなんかしたら、呆れ顔で、どこ行ってた?心配したよ、とすごい剣幕で怒る、という具合だ。オバアは過保護でもなく、放任でもなく、ちょうどいい加減のお母さんだったろう。

 美味しいご飯と楽しい会話、母のような気づかい。そんなオバアの存在が私に自信を与え、心の芯を強くする。

 そんな時、ふとオバアが言う。

 加代子、お母さんは?

 私はオバアに出会うまでは心と身体がスカスカの子供だったのだ。

 現実の母は健在である。けれど、母親らしい温もりはなくて、子供の私が将来、幸せな母になるようなモデルを示してもくれなかった。私は、母への反発と固着。相反する二つの極に引き裂かれていた。

 私のそんな揺れる思いを、オバアは何となく察していたのか。私は、思わず冷や汗をかく。

 けれど、私はいつかは故郷へ向かわなくてはならないのだ。あの両親の元へ。対決するのをずっと避けてきた、あの人たち。

 まず、父から思い出す。父は早くに亡くなってしまった。それだけに時間が経つほど懐かしさが増してくる。


(続く)

 


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