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はじめてレイバンのサングラスを買った遠い日のおもいで。


 またサングラスを落としてしまった。

 いつものことだけど、掛けたり外したりしているうちに見失ってしまう。

 南国の太陽に目を焼かれて外に出られないから、しかたなく新しいのを買う。

 これでことし何個目のサングラスだろう。


 サングラスを無くすたびによみがえる想い出がある。

 はじめてレイバンのサングラスを買った時のことだ。

 それは当時の私のお給料に見合わないくらい高価だった。

 身の丈に合わない買物だったが、なぜかその時、どうしても手に入れなければ、と思った。

バブルが崩壊するより少し前。社会が消費を煽ってくる時代だった。

 そのときの私は、独身で若い、自由にお金が使える女の子の一つの典型だったと思う。


 街は購買欲をそそる魅力的な刺激に満ちていた。

 通勤ルートの大阪の阪急梅田駅から堂島まで、私は人混みをすいすい縫うように進む。

 まず、阪急百貨店のコスメチック売り場とブティック街の前を通って、つぎは阪神百貨店のデパ地下グルメの甘い誘惑。

 感覚器官がいっせいにざわめく。私はランコムのトワレを香らせながら歩いていた。

 いまは一転。南の島で隠者のごとく静かな暮らしをしている。

 そして、あのときのエネルギーに満ちた狂騒を懐かしく振り返る。


 都会を手放すターニングポイントになったのは、ヨガの行者でもなく瞑想家でもない私に、とつぜん降ってきた神秘体験である。

 それは存在を根底から揺さぶられた体験だったし、この世界は安全なんだということを身体レベルで感じる体験だった。

 自然とつながっていた古代人はあたりまえの感覚だっただろう。

 産業革命から250年。高度大衆消費社会を生きる私にも、古代人とかわらない身体感覚が連綿と受けつがれていることを発見する。

 あのときのレイバンのサングラスは、買った一週間後に落としてしまった。 

 おさない私が背伸びして買ったヨージヤマモト、コムデギャルソン、かわいいKENZOやピンクハウスの服も、そのほかの大量のモノと共に消えていった。


 いまは百均のサングラスしか買わない。機能的にはまったく同等。落としても惜しくないし、見た目だって遜色はない。

 いったい、あのときは、モノのどんな価値に対価を払っていたのか、と思いめぐらす。

 最先端のカルチャーに? あるいは美と五感の愉しみに? あるいは…。

 南の島から都会をみていると、そんな時代の熱狂を、あれは自分のかけがえのない半身だったと認識せずにはいられない。


 そして、若い日を懸命に生きた記憶を、大切な人生のワンパートとして迎えてあげようと思う。





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