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本質と仮の姿のギャップ

社会に適応させるために身に着けた仮面をペルソナと言いますよね。
つまりペルソナは外側に見せている顔のことです。

皆さんも私も何がしかのペルソナを付けています。

このペルソナと素の自分とのギャップが、心身の症状や人生の問題となって顕れる、という話をしようとしています。

ちょっといまの段階では、うまく伝わるように書けるかどうか分からないと思っています。
よく考えて練り練りしてから書けや、と言われそうですが、今日どうしても書いて置きたいのでそうします。

じつは私は十代の高校時代から最近まで暴力の被害に遭い続けてきました。

暴力の被害というと、モラハラ、セクハラ、パワハラなどのハラスメントから、知人にいきなり原因も分からず背後から殴られたこともあります。悩みを解消するために参加した心理のコミュニティでファシリテーターから怒鳴られたこともありました。

これは私が攻撃性を抑圧しているから周りの人の攻撃性を誘発しているという訳です。
大人しく弱々しくしていると虐めっ子が寄ってくると言えば分かりやすいでしょう。

ここでペルソナの話に戻りますが、この大人しい人、弱い人、というペルソナを私は身に付けていため何回も被害に遭いました。

初めてこのペルソナを付けるようになったのは子供の時の両親との関係の中でのことです。

両親から攻撃を受け続けたので、私は自分を低く見積もって自信無げな私になったのです。

そして目立つと攻撃されるから従順にしていようという、本質の私とは大きくズレた思考と行動のスタイルを身に付けるようになりました。

認知行動療法の服従スキーマみたいなものです。

服従スキーマは虐待された人がもつスキーマです。
このスキーマを持つ人はエネルギー的に相手の下に入るので被害に遭いやすくなります。

私はこのスキーマを持っているから、さまざまな被害に遭いました。
いちばん酷かったのは、信用していた人から恫喝セクハラの被害に遭い、うつ病になって寝込んたことです。

私の人生、よくこれほど被害に遭ったねというほど被害に遭いました。

コラージュ 2004

いま思えば本質の私と、後天的に身に付けた弱い私というペルソナが大きく乖離していました。
このギャップが問題を生んでいたのです。

攻撃されることについて、カウンセラーの大嶋信頼さんの本にこんなことが書いてありました。
大嶋先生はFAP療法というトラウマ療法の発案者で、私は大嶋先生の弟子の人にカウンセリングを受けたことがあります。

嫌なことを言われるのは、あなたが謙虚にしているから嫉妬攻撃されているのです。
自分を信じて堂々と振る舞うと嫉妬攻撃されなくなります。

つまり自分はタカなのにトビだと思って自分を低く小さくしていると嫉妬されやすくなる、と大島先生は言います。
また、攻撃される人を狭い檻の中に閉じ込められてうずくまっているヒョウにも例えています。

周りの人からは、あなたの優秀なところや美しさが見えているのに、本人だけが自分をだめだと思い込んでいた、ということです。


私は親から入れられた支配がなかなか外れず、自分自身を正当に評価することが出来ませんでしたが、FAP療法を受けたあと、ハッキリと「NO!」が言えるようになり、確かに変わりました。

今では私に理不尽な扱いをしてくる人は容赦しなくなりました。

まとめると、ほんらいの私は弱い人じゃなかったし、ふつうに強いし、だめじゃないし、何の遜色もないことが解ったし、だからそのままの私を肯定して受け入れていれば、誰からも嫌なことをされなくなる、そういうことじゃないかと思います。

今日はそんなところです。



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