楽園瞑想〜母なるものを求めて(7)父のこと
私は揺れる思いを胸に、故郷に向かわなくてはならない。
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まず、父から思い出す。
父は早くに亡くなってしまった。それだけに、時間が経つほど懐かしさが増してくる。
父は、地方では名の知られた皮膚科医だった。晩年は自らが重い皮膚疾患を患っていた。医師は患者と同じコンプレックスを持っているという。それを悟られないように、医師は白衣の下に心を隠すのだろうか。
実家は、門から母屋の玄関まで飛び石が続き、飛び石の右側に蔵と納屋が二軒連なり、母屋の左側に離れがあった。
母屋は、診察室とレントゲン室、レントゲンの現像室、外科室、薬室になっている。母屋の離れは、家族の生活の場だった。
父は新しい医学書を取り寄せてはこつこつ研鑽に励む学究肌の人だった。薬価基準ではたいして儲けにもならない高価な薬を使っていた。医学部の同窓生が大病院の経営に乗り出しても知らぬ顔で、町の小さな医院を母と二人できりもりする、技量が自慢の医師だった。
若い頃は内科と小児科、外科も少しやっていた。なかでも皮膚科が得意で、師である先輩を追い抜くほど腕を上げ、やがて内科皮膚科医院の看板を掲げるようになった。父の名声を頼って県外からも通院してくる患者たち。完全治癒が困難なむずかしい皮膚病を、父は次々と治していった。
晩年の父の皮膚は赤く爛れて薄っすら血が滲んでいた。それは局所からだんだん全身に広がっていった。
皮膚。内側と外面の境目。自己と社会の波打ち際。そこが爛れている。父はどんな感情を隠していたのか。白衣の下の父の心を知りたい。
診察室。父がみまかった後のクレゾールの匂いがかすかに残っている。父の遺品が詰まった戸棚を開ける。
上の段には何十冊もの大学ノート。苦学生だった父の。象牙と黒いゴムチューブの聴診器。ルーペ。手術用のメス。血圧計。注射器。ステンレスの綿入れ。黒い革の往診鞄。襖の奥の部屋は厚い暗幕がかかり、大正時代のドイツ製のレントゲンがある。父が亡くなったあと、東映の大道具さんの手に渡ったレントゲン。
父との関係は、普通の親子のようでなかった。実の親子で同じ屋根の下に暮らしていたのに、私は父のそばに寄ったことも、口を聞いたこともないのだった。親子らしいことは何もしたことがない。
その父が写真を撮ってくれたことがある。目を合わせたこともない父に見られて、身体が固くなったことを今も覚えている。
その時の写真がいま私の手元にある。
家の庭。牡丹の木を背景に、やせっぽちで手足の長い少女が立っている。十一歳の私。いま私は、この写真を撮った時の父の目になっている。ファインダー越しに私を見る父の目。その時、父は何を思っていたのだろう。父と向き合ったのは、この時が最初で最後だった。
ずいぶん前だが、気になる夢を見た。私と父の関係を象徴的なストーリーだった。
夢の中で、私は暗い夜道を歩いている。私の前を一人の人が歩いている。その人は若い男で背中しか見えない。私はその人の後ろを、その人の歩調にあわせながら歩いていく。その人との距離が縮まらないように、広がらないように。常に一定の距離を保ちながら。その人は決して振り返らないから顔がわからない。道の遥か向こうに火が燃えているのが見える。火事のようだ。火の粉が夜空に舞い上がった。映画のワンシーンのように見とれる私。その時、消防士がこちらを向いて叫んだ。一緒に火を消さないか!火の手が上がっているのは道を隔てた川の向こうだ。川には橋が架かっていない。向こう側に渡る手だてがない。
目を合わせることはなかった。関わることもなかった。父はいつも後ろ姿の人だった。私はそんな父の背中を見ていた。あの人は決して振り返ってくれないだろうと悲しみにくれながら。
私は古い一枚のポートレートを眺めながら、写真を撮るという行為に込められた父の思いに焦点をあわせてみる。そんなやり方でしか心を表せなかった父はどんなに寂しかったのか。
父とは一言も言葉を交わさないまま、私は大阪に出て、その九年後、父は亡くなった。
父の痛い皮膚は私の心を侵蝕する。私は今でも人から見られると、身体が固くなって息苦しくなる。
父と私を引き離してしまったのは母だった。
(続く)