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【お盆】悲しみにさよなら

亡くなった私の親族の中に、身売りさせられた叔父さんがいました。

八十年前、戦前から戦中にかけての話です。

叔父さんは義務教育を卒業してすぐ、三井造船に丁稚奉公に出されました。

私の父を医者にするために、貧乏な祖父は全財産を売り、それでも足りなくて父の弟である叔父さんを売ったのです。

叔父さんの前借りした給料と育英資金をもらって父は医学部を卒業しました。

父はそのあと育英資金は返したでしょうが、叔父さんの給料は返したかどうかは私は知りません。

叔父さんは祖父の葬式にも、父の葬式にも来ませんでした。


叔父さんは一家が繁栄するために犠牲になったのでしょうか?

こんな不公平な事があっていいのでしょうか?

4歳位のとき、一度だけ叔父さんに会ったことが有ります。

その時の叔父さんは怒りに濡れた目をして「虐げられた者の怒りと悲しみを知れ」と訴えかけているようでした。

感受性の高い子供だった私は、叔父さんを忘れることが出来ません。


犠牲になった者の悲しみで、ふと思い出したことがあるのですが、北原白秋だったと記憶していますが、もし違っていたらごめんなさい、こんな詩の一節がありました。

「桃次郎

お爺さんとお婆さんに拾われた
桃太郎
日本の子供になりました

誰にも拾われず、流れて行った
桃次郎」

記憶があいまいで、これだけしか覚えてないですが、桃太郎と桃次郎は兄弟だったと思います。

同じ兄弟なのに、こんな悲しい話があるでしょうか?


これと似たような話で思い出すのですが、河合隼雄さんの日本神話についての著作にこんなのが有りました。

こちらもうろ覚えで恐縮なんですが、スサノオの兄弟に身体障害者として産まれた片子(カタコ)がいて、片子は産まれてすぐ小船に乗せて流されたそうです。

やがて片子は帰ってくるのですが、ハミ子扱いされて投身自殺する、という痛ましい話なのです。

同じ兄弟で、なんでこんなに運命が違うのでしょうか?

歴史の華やかな勝者の陰には屍が…

つい父と叔父さんを重ね合わせてしまします。


「虐げられた者の怒りと悲しみ」は、家族のなかで私自身の身に起こった悲劇でもあります。

そのあとの人生にも通奏低音のようにずっと私につきまとうテーマでもありました。

しかし、最近の私にはもう合わなくなって来ているのを感じます。

怒りと悲しみは癒やされて浄化されるのを待っているような気がします。


十六年前に沖縄に来てからも、ずっと聞かされているテーマでした。

この島は戦争の傷痕の残る島ですから。


しかし、これからの人生には持っていかないと決めました。 

叔父さんの怒りと悲しみは、私のものでは無ありません。 

外から入れられた全ての要らぬ感情は、私のこれからの人生から剥がれ落ちていくことでしょう。

あとは明るくて軽やかな天使のような羽だけ携えて、次の人生に飛び立っていくのです。



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