沖縄で、女性差別と男の経済力と父性について考えた
あれは時代だった。
日本経済がまだ元気だった頃、30年以上まえ。政府はサラリーマンと専業主婦のカップルを推奨していた。男は企業戦士で、女は銃後の妻、ということだ。勤務時間が長くて、家庭を犠牲にして働くのはふつうのことだった。
働く女性には厳しい時代だった。男は仕事が出来なくても会社が何とかしてくれたが、女は仕事が出来なかったら「早く結婚しなさい」と言われるのを、私は何度も目撃した。
それは女性差別でもあるし、同時に、男社会で女が結婚をせず仕事を続けるのはイバラの道だから、適齢期のうちに結婚させよう、という思いやりだった、という見方もできるかも知れない。
男は仕事、女は家庭。それが体制側の人たちの考える、最大公約数的な幸せだったのだろう。
しかし、時代が提唱する幸せと、自分一個人の求める幸せが一致しない人にとっては逆風になる。仕事が好きな一部の野心家の女性にとっては、「女の人は家にいて優しくしてほしい」なんて言われても、屈辱以外の何ものでも無かっただろう。
そんな時代のことを思い出していたら、沖縄社会の中での男女の地位と役割について考えてみたくなった。
これがまた本土とは全く違っていて…。
沖縄は女性社会だという。
妻の方が収入が多い夫婦は珍しくないし、女に世話になっている男もいっぱい居る、とも聞く。
以下は、石垣島に15年住んでいる私が見聞した話。
島では共働きがフツウだ。そして、妻に「当てにされていない」と言う男が結構いる。経済力がないからだろうか?
いえいえ、その人たちの仕事は、ある人は市会議員、またある人は新聞記者としっかりした当てに出来そうな仕事をしている。なのに、彼らはなぜか妻に「当てにされていない」と言う。どういう事か?
また別の人は「家に帰ったら強い強いかーちゃんが居る。僕、社長なのに働いている」と言うから、島の男が女に当てにされないのは、経済力のせいだけでも無さそうだ。
沖縄の女は精神的にも自立している、っていう事だろうか。
家族観や結婚観も本土の社会とはちがう。
離婚歴が幾つもある独身男女がけっこういる。
バツ3のある女性は、3人の子供を女手一つで育て上げ、さらに家を一軒建てて、両親の介護もしている。
石垣の女性はパワフルだね。
結婚しないで子供を産む女性もいっぱい居る。
シングルのまま子供を育てていても、「とーちゃんは誰だ?」ぐらいの話題にはなるが、後ろ指を指す人は居ないし、むしろ周りも協力的だったりする。
それも女性が強いからなんだろう。
また結婚、離婚を繰り返すから、腹違い、種違いの兄弟姉妹がたくさんいて、狭い島で一緒に育つからみんな仲がいいのも、本土では無いことだ。
本土の社会より自由な感じはする。そして母性と女性性を大切にする人には寛容な土地柄のように思う。
15年前に石垣に住み始めたころ。一人身だった私は島の人から「結婚しなさい」とは言われなかったが、「子供を産みなさい」とはよく言われた。
「あなたに似た可愛い子供を産みなさい」
「草や花もみんな子孫を残すのに、あなたは何をしているのですか」
「好きな人の種をもらって子供を産みなさい。子供が産まれたら男は関係ないから」
エッ? 男は関係ないの? ということは、島の男はタネ馬? 本土に住んでいた時には聞いたことが無かった話である。
自然とつながった暮らしをしている彼らにとっては、子孫を残す生き物の本能的な活動に肯定的なのは当たり前の感覚なのかも知れない。しかも、男は子供を育てる責任がないの?
女は結婚しても、しなくてもいいから、子供をだけは産みなさい、と言っている。沖縄は母系社会のようだ。
私は、日本最南端の八重山諸島の石垣島に住んで、半分外国のようなこの島の異文化を愛する者であるが、ふと考える。
母系社会では、男には父性が育たないのではないか。あるいは、父性を教える人も居ないのではないか。
沖縄に離婚が多いのも、島の女が男を当てにしていないのも、そういう事なのではないか。父性なき男に頼り甲斐や責任感を求めても、始めから無いから。
沖縄は母系社会で父性が無い??
いやー、頭がぐるぐるして来ました。
経済力がイバれる根拠、みたいな昭和の男の価値観もちょっと淋しい感じがしますが。
父性については、また考えてみたいと思います。
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