絶縁したら関係は終わりではありません
絶縁した母の近況を聞いて下の記事を書いたのですが、その後いろいろと浮かんできたことがあります。
私は暴力家庭の出身で、心が休まることの無い家族と離れて一人暮らしを始めたのが十九歳のときです。
それ以来、実家の方とはしだいに疎遠になり、二十七歳のときに父が亡くなったのを最後に、実家に残った母とは絶縁状態になりました。
母と絶縁した、と言っても絶縁宣言したとか絶縁状を叩きつけた、なんて事はしたことありません。
そんなキッパリした態度をとれるほどの強さが私にあった訳ではなく、母が怖いから近寄らなかった、というのが本当です。
近寄らないで居たら、そのまま年月が経って、気がついたら何十年も過ぎていました。
母とはとにかく物理的に距離を置かなければ私の平常心は保てませんでしたから、母に近寄らなかったのは正しい選択だったと思います。
私と母の関係で、ふと思い出したことがあります。私は優しい子供だったということです。
私は三人兄弟の真ん中の子で、上に姉、下に弟がおりますが、三人の中で私が一番母思いで優しい子でした。
愛されている子は親に気を遣ったりなんかしません。愛されていない子の私は母の好意を得るために一番優しい子になって母に必要とされるように成らなければ存在意義がありませんでした。
狡い母はそんな私の泣き所をうまく利用していました。
私が小学校低学年ぐらいの時でした。いつの間にか母の愚痴の聞き役にされていました。父や祖父母、父の兄弟姉妹から母の実兄の嫁のことまで、私は子供なのに大人の世界の難しい人間関係を聞かされ、母はその中で耐えている健気な人アピールをするのでした。
子供の私は当然のように、母を助けなきゃ、とその役を進んで引き受けるようになりました。
いい大人が子供相手に助けを求めるなんて何をやってるんだ、ということですが、親子の役割が完全に逆転してました。
母は子供の私をゴミ箱代わりにして自分を癒していたのですから、酷い話です。
子供は親に愛されるためだったら何でもします。私はなんとか居場所を確保するために母の役に立つ存在であろうと頑張りました。
この時の、私にすがってくる弱い人を助けなきゃ、という感覚は、私の人間関係づくりの原点になって、その後の人生で何回も繰り返しました。
どこか弱い男を背負っては潰れることを繰り返していた私のダメンズ遍歴は、母とのこの時の体験がベースになっているのだろうと想像します。
母と絶縁した後でも、母との不健康で歪んだ関係は他の人との関係の中で何回も繰り返し経験しました。
絶縁したからといって、関係は終わりではありません。過去を清算するまで付いてきます。
いつ終わるのか?人の役に立とうが立つまいが、私は居るだけで価値があるのだ、と思えたら、そのときが終わりのとき、なのです。
そのときやっと過去が終わるのです。
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