【読書ノート】「ここじゃない世界に行きたかった 塩谷舞 著」を読んで②
『“雨の多い街、ダブリン”-。
なんと心地よい響きだろう。雨は嫌われ者かもしれないが、雨がもたらす効果は潤いだけではない。雨のせいで多くの人が家の中でじっと時間を過ごし、頭の中で思考を巡らせているとしたら…それはとても魅力的だ。』
1924年以来100年ぶりに花の都で、パリ五輪が開催される。今日がなんと開会式らしい。フランスの首都パリとアイルランドの首都ダブリン。どちらも訪れたことがない場所だが、“美しい街並みパリ”と“雨の多い街ダブリン”を想像しながら、「私はダブリン派だな」と意見してみる。
大阪は梅雨が明け、猛暑日が続いている。これだけ暑いと、雨が降っていなくても、クーラーのきいた涼しい部屋でじっとして過ごすのが一番だ…。なんて言おうものなら、「暑さ寒さに関係なく家にいるくせに」と、夫から横やりが入りそうだ。よくある雑談のネタに「アウトドア派orインドア派」があるが、私は正真正銘のインドア派で、休日は家でゆっくり過ごしたい。週末に予定が入っていると数日前から何となく憂鬱になる。行けば楽しいのは分かっているし、実際にすごく楽しい。とても素敵な時間を過ごしたとしても、“人に会う”ということには疲労感がつきものなのだ。一方で、夫は人と会うことが大好きなアウトドア派なのが面白い。人と会うのは疲れると話してもまったく理解されない。それもそのはず、夫は人と会うと元気になるのだから。
こんな小さな家の中で磁石のN極とS極のような多様性が共存している。相手のことを教えてもらい、自分のことも伝え、私たちは今のところ楽しくやっている。人は自分の考えや感情を他人も同じように感じていると、つい無意識に思い込んでしまうが、“違う”を前提に話をすると、共通の何かを見つけたとき、拍手したくなるほど嬉しい。私たち夫婦は、この作業を繰り返し、 “違う”部分も多いが、不思議と“共通”するものも多くあることに気づいた。対話を重ねながら、お互いの取扱説明書を充実させていく必要がある。
『私たちは小学校で「自分がされて嬉しいことを、相手にもしましょう」と教わってきたけれど、この教訓には落とし穴がある。だって、痛みを感じたときに欲しいものが、人によってはまったく違う。』
『私の心が痛むとき、「寄り添い」という薬は効果てきめんだ。誰かに助けてもらったり、逆に誰かを助けたりすることで、刺々しくなっていた心もまあるくなる。しかし夫が悩んでいるときは、「一人にする」という薬が効くらしい。心を落ち着け、俯瞰して考えることで、ようやく前向きになれるそうだ。心が痛むときの対処法が、まるで逆なのだ。』
ピアノの鍵盤を一つ叩いて「ド」の音だけを出すよりも、「ミ」と「ソ」も同時に鳴らし、音を重ねた方が美しく感じる。単音だけでは作ることができなかった世界観を和音が表現する。人も同じかもしれない。違う音を持つもの同士、和音を響かせながらメロディを奏でる。これまで、そしてこれからの多くの出会いが、シンプルな私のメロディに複雑さを与え、音楽全体に深みや広がりが生まれるのだと思う。そう思うと、まずは目の前で仕事をしている夫に感謝の気持ちを伝えてみようか。
(※『』は引用箇所です )
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