人と違ってていいんだよ・・・でも・・・
多くの人が好きという金子みすずさんのこの言葉。
そうは言っても、違いが争いになるのも現実。
大きいことで言えば、戦争、紛争。
宗教、思想の違い。
もう、どうしても相入れなくて、お互い理解できなくて、争いになってしまう。
日常生活レベルでも多い。
我が家では、レタスが解禁になった。普通の、丸い、アイスバーグレタスという種類のもの。
夫が、このアイスバーグレタスを、まるで人間の食べ物じゃないような非難と批判に満ちた言い方をする。それを食べる人にも我慢がならないという。
そして、レタスとかきゅうりとか、「生で食べる物」という固定概念が絶対的にあって、加熱するなんてとんでもない!・・・という。
えーと、私、レタス好きだし、加熱したのも好きなんだけど。
でも、これだけ非難、批判の声をきいて、この非難にみちた表情を見なければいけないなら、あえてレタス食べなくても・・・。
で、封印すること20年。
やっと夫から解放されたので、解禁・レタス。万歳。笑
夫は、ADHDかアスペ傾向なので、「ーーでなければならぬ」という自分独自の基準を壊すことができない。自分だけのことならいいけれど、人にもそれを求める。他者が「ーーーでなければならぬ」に反したことをしていると、ものすごく批判する。
ADHDとかアスペじゃなくても、自分の考えが世界の標準だと思い込んでいるケースは誰にでも大なり小なりあると思う。
自分が大切にすること、自分の思い、自分の意見が、他者と違っているのは全然OKだし、いいことだと思う。違うことが当たり前。それが問題になるのは、自分の考えを人におしつけたり、自分の考えで他者をジャッジして、非難、批判したりするとき。
きゅうりを炒めるのも美味しいじゃないか。
アイスバーグレタスだって、しゃきしゃきしてて美味しいじゃないか。
あなたが、レタスはダメ。加熱しちゃだめ。・・・って思ってるのは自由だけど。私は、レタス好きで、加熱するのも好きで、いいじゃない。
その違いが、非難とか批判という行為にならなかったら、問題にならない。争いにならない。違っていてOK。
「へー、あなたは、レタス好きなんだね。」
・・・って笑って受け止めてくれれば丸くおさまる。
世の中、そんなことばかり。
どうしても相入れない思想とかだと、もっと深刻で複雑な議論も出てくると思う。でも、こんな日常の小さなことくらい、もっとおおらかに受け止めて生きていったほうが、もっと幸せに生きていける。人間関係も丸くおさまる。
自分の行為を振り返りつつも、そう思うのです。
自分も気をつけよう。
決してレタスがもとで離婚するわけじゃありません。笑