人に迷惑かけない人に育って欲しい・・・って?
日本人の親が子どもに期待すること。
「人に迷惑をかけない人に育って欲しい」
これに違和感を覚えて30年以上たちます。
シュタイナーの世界に入って、同じようにこれに違和感を覚える人たちに囲まれてきて既に20年以上。
だから、たまに、「人に迷惑かけない人に育って欲しい」という人に出会うとびっくりする。え? 今でもそんなこと言う人がいるの?・・・って。
いや、私がシュタイナーの世界に浸りすぎているから「一般社会の常識」からずれているのかもしれないなあ。笑
迷惑って何ですか?
迷惑って一般にはこんなことかな。
たとえば・・・
仕事でミスって誰かに助けてもらう。借金ができてどうしようもなくなって金銭的援助を受ける。離婚して実家に出戻る。事故とか病気とかで子どもの世話ができなくなって親戚に子どもを預かってもらう。
失恋したり落ち込んだ時に話をきいてもらう。体調悪くて倒れたときに誰かに助けてもらう。
災害にあって家がなくなるなんてこともあり得ますよね・・・。これで誰かに助けてもらうのも迷惑かけるってことなんでしょうか?
失敗しない人っているんですか?
できれば失敗はしたくない。自分のミスで人に迷惑をかけるのもできれば避けたい。でも、ミスしない人っていません。ミスするから成長する。
でも、ミスしたら減点される教育を受けていると、ミス=ダメ!と思い込む。
だれでも失敗しますよね? 失敗しない人なんていないですよね?
失敗したとき、「ダメなやつだ」「最低」「迷惑かけられた」って周りから責められると落ち込みますよね。ひとりぼっちで孤立したり。
悲しいですよね・・・。
そうじゃなくて、「失敗してこっちの仕事増えちゃって大変だけど、失敗は誰でもするもんだよ。そこから学べばいい。ミスを取り返すようにサポートするからがんばれ!」って言われるのと、どっちのほうがいい結果を出すか?
自分は、ミスした時、責められて孤独だったけど一人で頑張ったんだ!!・・・っていう人もたくさんいる思います。強い人です。
でも、人間みんなが強いわけじゃない。それで潰れてしまった人も、たくさんたくさんいるのではないでしょうか。弱い人はダメな人ですか。繊細で傷つきやすいけど、その分人の心がわかる優しい人はダメな人ですか。
「ミスしたら一人で頑張れ」じゃなくて、そのときどう言ってもらえたらもっとポジティブに頑張れたのでしょう?
失敗しないことを前提の社会・人間関係って、冷たい。失敗してもいいんだよ、そこから学びあっていこう・・・って成長しあえる社会のほうが、私はあたたかくて建設的だと思います。
「迷惑かける・かけられる」じゃなくて「助ける・助けられる」
迷惑って悲しい言葉だと思うのです。私だって、迷惑かけるのは、申し訳ないと思う。迷惑かけられるのは、「いやなこと」。迷惑は、かけるほうも、かけられるほうも、「いや」な感情がある。
そうじゃなくて、ミスしたり、逆境に陥って困ったり、傷ついたりしているときに、「助けてもらう」「協力をお願いする」と考えた方が私は好き。
辛くてどうしようもない時に、「助けて」って言えない人間関係は悲しい。孤立して、一人で苦しむ。ひとりぼっち。想像しただけで悲しくなる。
迷惑かけられるって思うと嫌だけど、助けを求められることって、私は嬉しい。人に頼られること、人に必要とされること、自分が誰かのために何かをできること。これ、嬉しくないですか? 自分が誰にも頼られない、自分が人の役に立てないって、悲しいじゃないですか。
助けを求められたとき、それがとても手助けできないような事かもしれない。でも、そういうときに、「いやだなー。そんなことできない。でも断ることもできない。」って心の中だけで思っていると「迷惑」に感じてしまうのかも。
こういうとき、私は言います。
「助けを求めてくれて嬉しい。できれば助けてあげたい。でも、私はOOの理由でそれはできない。でも、私にできることがあれば何でもしたいと思うから、他にもできそうなことがあれば何でも言って。」
・・・って。
私がアメリカで犯罪の被害にあって、心がぼろぼろだったとき、アメリカ人のクラスメートたちが私をハグしながら涙ながらに言ってくれた。
「私は、今、何をしてあげたらいいのかわからない。でも、私はあなたのことを心配している。私はあなたのことを心から想っている。だから、私にできることがあったら何でも言って。できることならなんでもしたいから。できないことはできないと言うから遠慮しないで言ってね。」
何人ものクラスメートたちが、落ち込んでる私のところに来てこう言ってくれた。この言葉がどれだけ私を力付けてくれたことか。私は彼女たちのこの心、一生忘れません。
だから私はそのときから、はっきりと言うようになりました。「今は助けられない」ということも「助けたい」「あなたのことを想っている」ということも。
「助け合えない社会」は悲しい
あなたは困った時、人に助けを求めることができますか?
助けを求めることは人に迷惑をかけること・・・と思うと、なかなか助けを求めにくい。
「助けてもらう」経験って大事だと思うのです。助けてもらう経験があると、人に優しくなれるから。自分が弱かった経験と、助けてもらった経験は、人に助けの手を差し伸べられるようになるから。
「助けを求める」経験は、「助ける力」になる。
「迷惑」と考えれば孤立する。「助け」と考えれば協力し合う。
助けを求めることは、人の力を借りる事。自分にできないことを手助けしてもらったり、弱っているときに助けてもらったり。
助けを求めると、自分にはできないことができるようになる
自分ひとりでできない仕事があるとする。「こんなことお願いしたら迷惑じゃないか・・・」と考えて人に頼めないでいると、プロジェクトは達成できない。
人と協力して何か仕事をする。プロジェクトをする。その企画が大きければ大きいほど、一人ではできません。でも、人に協力を求めると、大きなこともできる。
プロジェクトとかじゃなくても、毎日の暮らしだって、人の助けなかったら食べ物も十分手に入らない社会。ものすごく、人に助けてもらって成り立ってる私たちの暮らし。
ねえ・・・。
助けを求めるって、すごいことじゃないですか。
自分一人でやる必要はない。
自分よりできる人に助けを求めたらいい。
助けを求めてもらいたい人はいっぱいいる。
自分でできないことも、協力してもらうとできるようになる。
自分が助けてあげられることもたくさんある。
迷惑じゃない。
ありがたいこと。
助け・助け合おう。