子どもへの愛
私は親として教師として、教育に関わっています。講座でお母さんたちと日々話しています。
お母さんやお父さんに、
子どもに「愛してる」「好き」というメッセージを贈るとすると、どんな言葉で表しますか? ・・・と聞くと、こんな答えが帰ってきます。
思いやりがあるところが大好き
よく気がつくところがいいわね。
いいつけをよく守るからとってもいい。
可愛いから大好き。
勉強しっかりやっていていいわね。
はい。もちろん。確かに。じゃあ、「いいつけを守らなかったら嫌い」ですか? 確かにイライラすることはあるでしょうが、言いつけを守らなくても好きという気持ちは変わらないはず。
親だったらきっと誰でも、そんな条件なしで、「私のところに生まれてきてくれた、それだけで愛おしい」「ここにいるだけで、存在しているだけで愛おしい」と思っているはず。でも、褒める時は条件付きで褒めちゃう傾向がある。
条件なしの愛があるにもかかわらず、子どもは、違うメッセージを受け取ります。「じゃあ、いいつけを守らなかったら嫌いなんだ」「可愛くないとダメなんだ」「勉強怠けたら嫌われるんだ」・・・悲しいです。
パートナーへの条件
子どもにはそうやって無条件の愛があるのですが、ではパートナーは・・・というと、なかなかそれは難しいようです。
親の夫婦関係を長年みてるうちに培われた結婚観があります。親に言われた言葉や、近しい人が言っていた言葉も結婚観をつくります。結婚ってOOであるべき。夫はOOであるべき。妻はOOであるべき。と。
私は、節約魔とも言える母のもとで育ったので、お金に対してシビアです。大きなお金のブロックを築き上げていました。
だから・・・
夫は家族を支えるべき
夫はせめて家計の半分は負担するべき
自分のものは自分で買うべき
・・・と思っていました。最低条件としてね。どう思いますか?
母も
「家族を養うだけの経済力がない男なんて、結婚する資格がないわよ」
なんてことも言ってました。
私は「養ってもらう」ということに、小学生くらいから否定的で、大人になったら自分のことは自分でやっていく経済力をもっていたいとずっと思っていました。だから、結婚したら、家計も「私の分まで払ってくれなくていいけど、夫が生きていくための出費を自分で工面するのは当たり前!」くらいの考えでした。
思いっきり自分の考えを押し付けていました。
お金のことも、それ以外も、条件だらけです。「OOであるべき」がたくさんあります。でも「OOであるべき」ことが満たされないと、ストレスになります。何しろ「最低条件」ですから、それが満たされないと「嫌い」になりかねない。
我が子には無条件で好きでいられるけれど、血の繋がっていないパートナーは所詮は他人でしょうか。無条件の愛とはなかなか言っていられません。
夫への条件がすべて崩壊した
前、夫婦関係におきたミラクルについて記事にしました。
そこで、冷めていたパートナーシップが、ある瞬間にとつぜん薔薇色の恋愛関係になったことを書きました。
その瞬間、突然、条件がすべて崩壊しました。
もってい条件全部、どうでも良くなったのです。これらの条件を満たさなくても、愛情に変わりはないと確信がもてたのです。
夫は家族を支えるべき
→ お互い支え合ってる。そばにいてくれるだけで支えてくれている。
夫はせめて家計の半分は負担するべき
→ 私のほうが収入が多いから私が払えばいい。
みたいに。今は私のほうがお金を稼いでいるから私が払えばいい。でも、私の苦手な力仕事とか、DIYとか、そういうところをやってくれているし、なにより、一緒にいてくれるだけで安心できる。
一緒にいることが目的で一緒にいる。何かをしてもらいたくて、養ってもらいたくて一緒にいるんじゃない。そう思えたのです。
もちろんこれは、私が自分の「お金のブロック」をコツコツと外していて、お金のブロックから自由になっていたことも大きく影響しています。
これで、相手に求めている条件はぜんぶなくなった。一緒にいて欲しいということ以外は。一緒にいてくれる、あなた自身の存在が大事なの。そういうメッセージは、夫を変えました。「OOやって」と言われていやいややっていたことが、「大好きな華代のために、やってあげたい」という感じで進んでやってくれるように・・・。
人間ってそういうものですよね・・・。そうやって人間が関わり合っていけたら、人間関係は愛でまわっていくはず。嫌いな人はともかく(笑)、好きで結婚したはずのパートナーにそんな思いを取り戻せたら、世界中のカップルが幸せになれるはず。みんな薔薇色になるといいな。