息子の12年生劇〜母の思い
昨日は次男の12年生劇でした。コメディです。映画化もされている作品です。
子どもの喧嘩を和解するために2組の夫婦が話し合う。最初から最後までリビングルームのシーン。最初は冷静な話から始まるけれど、とにかく話がとんちんかんで絡み合わない。だんだんエスカレートして喧嘩になる。気持ち悪くなって吐くし、お酒も入って酔っ払い、カッとなって最新のiPhone を花瓶の水の中に放り込んだり、花瓶のチューリップを投げ捨てたり。
まあ、とにかくカオスなんです。しかも、4人がそれぞれものすごく自分勝手。
その自分勝手さ、会話の展開が笑えるコメディになってます。
息子のクラスはとても小さくて、たった4人。ちょうど4人のキャストだからこの劇になったという訳ではありません。
劇を決めるときに、まず2つの作品が候補にあがり、それをみんなで読んだけど、何かしっくりこない。その後先生がこの本を紹介したら、これだ!・・・ということになったらしい。
息子たちのクラスは、本当に「いい人たち」揃いです。「いい子」じゃない。人間ができていて、精神的に成熟したいい若者たち。あまりにも成熟しているので「若年寄か?」と思うほど。笑
↓彼らの様子を感じさせる、キャストインタビュー
彼らが、このとんでもない自分勝手な人たちを演じることを選んだ。彼らとは全く違う。でも、それぞれに役回りは、なんとなく本人を感じさせる性質もあったりする。
最初は、このカオスが面白くて楽しんでいたという。練習を重ねるうちに役になりきっていく。そして本番になる頃には、自分が演じている人物への嫌悪感が生まれてきたという。
このクラスがピンときて決めた作品。こういう「これだ!」っていう直観って、不思議だ。その直観をもとに行動していくと、そこに、自分が通るべき体験があり、成長になっていく。
この演劇でそれぞれが演じた経験は、これからも彼らの中で育っていくのだと思うけど、もうすでに、彼らが一皮剥けて成長したのが見て取れる。
いい子たちが、いい子だけではないものを出して、皮を破って成長していく。もともと若年寄みたいな子達だったけど、さらに大人になったなあ・・・と思う。
私の息子2人は、幼稚園から高校三年生までシュタイナー教育で育ってきた。シュタイナー学校の生徒たちの発表をみて、毎回私は胸がいっぱいになって感動の涙を流してきた。自分の子供たちだけじゃない、他の子たちも、その姿がキラキラ輝いていて美しくて。
息子の母として、教師として子供たちの姿をみる。息子が小さかった頃は、高校生の発表を見て、母として、「立派だなあ。うちの子達もああなるのかなあ。すばらしいなあ。」と思った。教師として、私が見てきたシュタイナーではない一般の学校の生徒たちを思い出し、それと比べて「なんてこの子達は自分らしく輝いているんだろう。」「なんてしっかりと自分の芯をもっているんだろう。」と感動する。
今、長男はシュタイナー教育を終えて大学生。次男はあと4ヶ月で卒業する。子供達が小さかった頃、「いつかあんなに立派になるのかなあ」と見上げて憧れていた高校三年生に、次男がなった。ステージの上の次男は、立派だった。私の息子が、こんなに堂々と演じている。家では見せない成熟した姿で演じている。
二日続けて公開公演があったのだけど、私は2回目だけ見に行った。開演前に、エレガントな初老の女性が私に話しかけてきた。「昨日も見に来たのだけど、あなたの息子さんがとってもすばらしくてね。もう一度見たくて今日も来たのよ」って。終了後に彼女がまた私のところにきて「昨日よりもっと素晴らしかったわ。母として誇らしいでしょう?」「友達のところで息子さんによく会って、何度も話したことがあるのよ。素晴らしい青年だわ。あなたは素晴らしい子育てをしたわ」って。
母親にとって、これ以上の賛辞があるだろうか。
息子たちは、ほんとうにいい青年に育ってくれた。こんな至らないところだらけの母親のもとで、よくぞこんなに育ってくれたと思う。人間の育つ力ってすごい。
ありがとう。ありがとう。
息子たち。その存在に感謝しかない。