ありのままの自分を隠す必要がある?
隠したいこと、恥ずかしいこと・・・
これまで半世紀も人生を歩んできました。当然、失敗もあります。穴に入りたいほど恥ずかしいことも、消してしまいたい過去もあります。
ルドルフ・シュタイナー・カレッジでどっぷり人智学に浸ったあたりから、私のあり方が変わってきました。そして、「隠す」ことをしなくなりました。
それは、失敗することを恥ずかしいことだと思わなくなったから。
私はわたし。失敗するのもわたし。誰だって失敗する。失敗したから今の私がある。転んでもがいている姿は格好悪いかもしれないけれど、いいじゃない、人間だもの。もがいているからこそ、人間って美しい。
そう思えるようになって、自己受容ができたら、隠すことなんてなくなりました。
恥ずかしいことも話してみると・・・
友達とか、直接知る人たちに話すことが多いですが、実際に話をしてみると、「そうそう、OOさんも実は・・・」という話がたくさん出てきます。「△△さんのところは、もっと大変で・・・」という話も。
自分が話し出すと、話を聞いてくれている相手も心を開いていろんなことを話してくれます。
自分の失敗は、もう、とんでもなく恥ずかしいモノのように思えるけれど、実は、みんな何かしら失敗している。私より大変な思いをしている人たちがゴロゴロしている。しかも、何不自由なく幸せそうにしている、あの人も、この人も、実は大変なことを乗り越えてきているんだーーーっていうのを知ってびっくりしたりします。
結局、何も問題のない人なんて誰もいない。見せないようにしているだけで、何かしら悩みを抱え、苦しみを乗り越えて生きている。
「わたしの悩みなんて、大したことないんだわー。」
そう気づくと、隠す意味もなくなります。悩んでいるのがアホらしくなります。自分が恵まれているのだとわかります。
「そうは言っても、失敗を批判する人もいるかもしれない」と思うかもしれませんね。もしも、あなたの失敗を批判・軽蔑する人がいたとしても、そういう人は、別の傷があるから優しくなれないだけかもしれない。世の中には、敵ばっかりじゃなくて、味方がたくさんいるんだってことを知って欲しい。
そう分かったら、もっとお互い理解できるのに。もっとお互い優しくなれるのに。そんなふうに私は思いますが、まあ、ひとそれぞれですから、「みんな大っぴらに告白しましょう!!!」なんて言うつもりもありません。
ただ、これだけは言っておきたい。
あなたの悩みはあなただけのものじゃない、あなたは一人じゃない・・・ってこと。
あえて言わないこと
とはいえ、こういう公の場では、隠しているわけじゃないけれど、あえて話さないこともあります。気の利かない私ですが、とりあえずの配慮です。
1つはネガティブなこと、人の批判、否定するような発言をしないこと。
よく知る友達同士や、共通の考えを持つような仲間うちでは、愚痴も言うし他者の批判もすることもある。でも、公の場で、不特定多数の人が読む媒体で他者を批判することは極力しない。批判ではなく、「意見」や「思い」を表現するよう心がけています。
もうひとつ、他者を守るための配慮。
私は隠さなくていいと思っていても、そのストーリーの関係者が公表して欲しくないこともある。たとえば、離婚や結婚という話で、相手が知らなかった私の本心があります。もしも相手がそれを読んで傷つくようなことなら、書きたくない。他者の思いを測りきれないから、それでも傷つけることもあるだろうと思うけど、私なりに精一杯の配慮はしているつもりです。
だから、書くのを控えていることも多いです。もう私の側に隠すことはなく、正直に書きたい気持ちでいても、私だけの問題じゃないから。
表現するって難しい。
私がこうやって個人的なことを書くことで、ちょっとでも勇気を持ってくれたり、ひとりじゃないんだということを感じてくれる人がいたら、私はとても嬉しいです。あなたも、わたしも、ひとりじゃない。