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シュタイナー子育て講座のなかで、「手放す」ことについて話題になった。

子育ては「手放す」ことの連続。母子べったりだった乳児期から、少しずつ母の手から離れていく。距離感もだんだん離れていく。思春期になったころには、「お母さん、あっちいってて」状態。いつかは家を出て自立し、パートナーを見つけていく・・・だろう。

母親がやることも、少しずつ手放す。乳児期はすべて世話をしてあげなければいけない。食べ物を口に入れるところまでやってあげなければいけなかった頃から、自分で食べられるようになり、自分で着替えもできるようになり・・・。

持ち物を確認してあげなければいけなかったころから、自分で持ち物を揃えられるようになり、宿題も自分ひとりでやれるようになり。

どんどん母は母の仕事を手放していくことで、子どもは育っていく。母がずっと「お世話係」になって、世話をしてあげていると、子どもは自分でできることも親に頼るのがあたりまえのまま大きくなっていってしまう。親はお世話係じゃない。育てる人だ。お世話ばかりしていたら育たない。

親にとっては、子どもが離れていくのは寂しいこともあるけれど、子どもに鬱陶しがられる前に自分から手放していく方が子どもは育っていく・・・というのが私の子育てで実感していること。

母親なんていなくても全然大丈夫!・・・なくらいに子どもはあっという間に育ってくれる。母親なんていなくても全然大丈夫で、1人で生きていけるけど、母親を大事に思う気持ちが減るわけじゃない。安心して手放せばいいと思う。

母は世話をしてくれるからありがたい存在じゃない。母は母であるだけで尊い存在のはず。

子離れが辛くて苦しくなるまえに、自分から少しずつ手放していった方がいい。子育てで「手放す」ということは、執着心をなくすことでもある。子どもへの執着心も、ものへの執着も、減らしていく。

子どもへの執着をなくし、子どもを手放していくことは難しいかも知れない。でも、ものを手放していくことで、執着心がうすれていく訓練になっていく。

子どもの服、子どもの作品、好きな本、思い出のもの、写真・・・。手放さなければどんどん溜まる一方。

私はけっこう潔く処分することができる方だと思う。とくにこの半年くらいは、毎日、少しずつ断捨離している。断捨離の習慣化で、手放すことが前以上に気持ちよくなったし、無理なくできるようになった。



道具でも本でも、まだ使えるものを処分するか処分しないかの判断基準は、私がまだ使うかどうか。「使うかも??」とか「値段が高かったし」「使わないけどもったいない」というものは潔く処分する。

手放すことはもったいないとは思わない。使えるものが、使わなれないで私のところにあるほうがよっぽど勿体無いし、その物にも申し訳ないと思う。誰か使ってくれる人のところへ行ったほうが、物は活かされる。本にしても同じ。本棚に何年も置いてあるだけでは本が可哀想だ。だれか読んでくれる人のところへ行ったほうがいい。

本は読まれるために、物は使われるために、この世に作られたのだから。


そう思うと、持ってることが申し訳ない気持ちになって、手放すことがきもちいいのです。

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かよ|ロンドン在住、楽しく人生をクリエイトするシュタイナー教師&経営者 石川華代
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