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今月は父の命日がありました。他界して30年になります。

今まで父のことを人にあまり言わずにきました。「言えず」にきました。それは、父について話すことがあまりないから。話そうとすると、文句言いたくなっちゃうから。

いえ。悪い父親ではなかったです。

真面目に働く公務員。物静かな人でした。

借金作るとか、暴力ふるうとか、家庭をネグレクトするとか・・・問題行動は何もなかったです。きちんとした社会人でした。

口下手で無口な人だったから、わたしたち娘と会話がなかった。

私が覚えている父の姿は、休みの日に昭和な感じのももひき姿でテレビの前にごろ寝している父。寝てると思ってテレビを消すと激怒し出す。

癇癪もちでした。その怒りが私に向けられることはなく、うまく立ち回る次女の私。でも、怖かった。怒らせないようにビクビクしてました。

私も無口でした。ほんとに口が無いんじゃないかというくらいに、学校では一言も話さないような子でした。

無口な自分が嫌いでした。

そして、この無口は、父から受け継いだものだということも自覚していました。

無口な父と、無口な私。

会話できない。会話したくても、私自身が会話できない。無口な父相手だと余計に話せない。無口な自分を責める。でも、その無口さは父からきているもので、父を責めたくなるけど、自分も責める。

父は私が12歳のときから単身赴任になりました。

思春期だったし、もともと会話もなかったから、父がいなくても寂しくなかった。

私の大学卒業とほぼ同時に、父は定年退職しました。そしてその1ヶ月後に癌で他界しました。結局、一緒に暮らしたのは12歳までの12年間だけです。

「ずるい」って思いました。

父と離れている間に、私も成長して、人と話せるようになりました。私も大人になって、私から父にもっと話していこう。これから、もっと父と話そうと思ってたのに。死んじゃったらもう話せないじゃない。ずるい。

「ずるい」

だって、「死んだ人のことを悪く言っちゃいけない」って思ったから。

心の中の傷を無かったことのように押し殺して、「父はいい人でした」というフリをし続けた。「父はいい人でした」「父はたくさんいい思い出を残してくれました」「私たちは仲のいい父娘でした」って。

父に言いたいこといっぱいあった。お父さんのことが怖かったことも、びくびくしていたことも、大人になったその時には笑い話にしながら正直に話せると思ったのに。そうやって正直に話して、いい関係を築いていきたいと思ったのに。

「ずるい」
「そんなに早く、先に死んじゃうなんてずるい」

「もっと話したかったのに」

「もっと仲良くなりたかったのに」


私が結婚したとき、結婚式で父の兄弟である叔父さんが言いました。
「華代ちゃんのことを、とっても大事にしていたんだ」
って。

衝撃だったんです。
そんなこと、おくびにも出さない父だった。
怒ってるばっかりの父だった。
愛されてるなんて、全然感じなかったから、愛されてないって思ってた。

父からそれを聞くことなく、叔父さんから聞くなんて。



なら、どうして、そう言ってくれなかったの?
言えないなら、ぎゅっと抱きしめるとか、行動で表してくれればいいのに。
誕生日カードのひとことでもいいのに。

もしも、今、父に会えるなら、伝えたい。

お父さんともっと話がしたい。
大好きだよ、って抱きつきたい。


ずるいよ。もう、いないなんて。


30年たって、初めて悲しみが出てきた・・・気がする。



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かよ|ロンドン在住、楽しく人生をクリエイトするシュタイナー教師&経営者 石川華代
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