スキスキスー
noteを始めて2ヶ月目。
薦められるがままに、いろんな方の文章を読み、わたしにスキを下さる神さまたちの文章を読み、他人の頭の中をこっそり覗いてるみたいで、なかなか楽しいnote生活。
赤裸々に言葉を紡ぐ人もいれば、うまいこと纏められてて感心する人もいて、創作や詩なんかも滲みでるそのキャラクターを感じたりして、
誰かが誰かを楽しませようと書いた文章のぬくもりや優しさに、その人に会ったこともないのに同士みたいな気分になるっていう、
メールのやり取りだけで信用しちゃうロマンス詐欺とか、オレオレ詐欺とか、割と簡単に引っ掛かりそうな自分、という新しい発見。
しかし、皮肉っぽい特性が、ちょいちょい邪魔をしてくるお陰で、
えー、なんでこんな内容もオチもない文章に、こんなスキがついてる上に、謎のファンコメントみたいなのついてんの?と驚いたり、
ネット検索で出てきた内容を、それっぽく整えただけですよね?みたいなのが人気だったりするのは、その整理方法が評価されてるのかしら、とか。
反面、めっちゃくちゃ構想練って、すごい熱量で書かれた、その人となりが感じられる素敵な文章や、
これこんなに面白いのに、なんで今まで埋もれてたんだろう?みたいなお宝に出会えた時のよろこびはひとしお。
スキをだだだだ連打したいくらい、
ああ、この人の文章心地よいなあ、
この人の言葉選び、好みだなあ、
わたしに、あなたの気持ち届いてるからね、
きみが好きだーと叫びーたい
そんな文章に出会えるnote、
ソーシャルメディアが苦手なわたしですが、
これからも続けていけそうです。
わたしは孔子よりも老子推しで、
(以下、独自な解釈)
孔子的なサクセスストーリーとか、努力は決して裏切らないみたいな投稿は、「おお、頑張ったんやな、えらいぞ」と感心するし、憧れもしますが、
それが押し付けがましかったり、評価基準が相対的で、勝ち負けで論じがちなやつは、好みじゃないなと疲れるのです。
老子的な、日常の中から美しいもの、おもしろいものを掬いあげて、その人の手腕で命を吹きこんだ文章には、見つけた宝物を「ほーら、これいいでしょ」と見せてもらったみたいで、じんと嬉しくなります。
しあわせも、不可思議なことも、笑いのネタも、
何気ないようでいろいろある日常に潜んでいて、
それをみつける嗅覚に、グッとくるんです。
あなたになら騙されてもいい、って
まあ、なっちゃいますよね。
よしよし、振り込んだろ。課金したろ、と。
たぶん、これがnoteの醍醐味。
スキの数が必ずしも文章の上手さと比例するわけでもなく、思ったよりも玉石混淆なところも、思わぬお宝発掘できちゃうところも、
とても気に入っています。
だから、自分の文章にスキがつかなくても、
くよくよしないわ。
そばかすなんて気にしないわ。
でも、これ読んでスキしてくれる人がいたら、
とっても喜んで、スキスキと尻尾をふり、
あなた様のしあわせを祈ります。
やっぱりスキって言われたい。
承認欲求ってやつは。