ケン道
私は割と運動が好きだ。バイト終わりに軽く運動したり、格闘技系の習い事をしている。バイト先の偉い人には「そんなに倒したい人がいるのか」と言われた(この歳になるとそういう人もいくらかいるものだと思う)。どうあれ身体を動かすというのは案外さっぱりしていいものだなあと思っている。なぜか親世代の方から褒めてもらえることもあり、心身共に美味しい。
一方体育とかいう性知識しか育たない教科はかなり嫌いであった。まともにできるのは習い事をしていた水泳くらいで、それも人並みくらいにしかできない。しかも高校になるとプール自体がなかったので加速度的に体育が嫌いになっていった。
提出物等はきちんとするので成績は悪くなかったが、万年3(5段階評価である)を叩き出すウスノロであった。運動が上手いわけではないのだ。中学生の時一度だけ5を取ったことがあるが、クラスの女子全員にジャンケンで負けて体育委員になった時に労働義務を果たしたためであるので、実質恩赦を受けた囚人のようなもので中身は伴っていない。第一運動部の奴らは進んで体育会的コミュニティに身を置いているくせに体育委員はやりたがらないのだろうか。お前が始めた物語だろうが。長の疑問である。
というわけで選択制の体育のカリキュラムはどれを引いてもハズレクジというもので、端的に言えば嫌だった。自分で選んだのに全然出来ないというのは痛々しいものである。
中学生の冬だったと思う。カリキュラムの選択を迫られた私は、渋々剣道を選んだ。多分防具とかを着ける作法とかで時間が潰れるだろうし、人と人が打ち合っているところを見学しておけばいい、というタイミングも少なくないだろうと見当をつけたのだ。防具は臭いだろうないう懸念はあったがそう酷くはないだろうと楽観した。あと、外に出なくてもいいというのも引きこもりには魅力的である。外は寒くて仕方がない。仲良しの友人とも一緒なので、まあ頑張るか、くらいの気持ちで決めた。
剣道を担当したのはS爺と呼ばれる初老の男性教員であった。険のある人であまり好きでなかったので嫌さが増したが、そんなに高い期待もされていなかったのでその点では楽だった。男女合同の授業だったのも一因としてあったと思う。防具は案の定臭かったがまあ許容範囲であった。理科の先生が「防具の臭さはミューズで全部取れる。ミューズの殺菌能力は破壊的だ」と言っていたことを思い出しながら、授業後には学校の硬くてボソボソした泡立たない石鹸で手を洗った。
防具を付けるのも竹刀を振るのもそんなに嫌ではなかったが、すごくやりたくないことが一つあった。多分所作の一つなのだろうが、打ち込む時にでっかい声を出さないといけないことである。チェストの国の血が流れているくせに全然理性が勝っていた。知恵は捨てられない。そのせいで、ちいかわくらいの声で「ヤ〜」と間の抜けた声で打ち込むのであった。周りも当然思春期なので、大体ちいさくてかわいい声で誤魔化そうとしていたのだと思う。
S爺はもちろんそんなことは許さなかった。目をぎろりと光らせ、なっとらん、なっとらんと指導するのだ。正直思春期の生徒が選択制で選んだ剣道に対し、その指導でやる気が出るわけないのだが、まあそれは一生懸命に指導してくださるのである。何年教員をやっていたのか疑問である。
ある時、S爺はとうとうキレた。「お前たちはなあ、打ち込む時の気合いがなっとらん!こうやってだな、すり足で声を出しながら力を込めるんだ!」そういうと徐に竹刀を握り、振ってみせた。「あい"だぁ〜!!!!!!!!!!!」絶叫である。言うだけあって流石にでかい声が出るなあと思っていたが、次の瞬間S爺は床に崩れ落ちた。何かと思った。みんな同様に困惑していたが、S爺の虫の息で全てが分かった。「アキレス腱が、切れた」
私が実力と思ったらS爺の絶叫は、実際のところ激痛から来るいきみの声だったのである。
S爺が運ばれてきた担架に乗せられる様子を、私たちは半笑いで眺めていた。
慣れたことでも、慣れないことでも準備をしないと大変なことになる。運動が習慣になっても、S爺を思い出し、前後の準備運動だけはしっかりしようと思うのであった。