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英語のスピーチ大会に出た話。
どうも。KAYOです。
少し前に海外旅行の体験談を書いた記事の中で
高円宮杯中学生英語弁論大会に出場することになりました。
というのをしれっと書いて
「その話はまた今度」としていたので
今回はそのことについてお話ししたいと思います。
そもそも高円宮杯中学生英語弁論大会とは…
日本の英語のスピーチコンテストの中でも歴史ある大会で
中学生向けの大会としては国内トップクラスの大会です。
秋になると各都道府県ごとに予選大会が行われて
上位入賞者は全国大会に進出できます。
各学校の代表は1校3名までです。
私…この大会の福岡県予選に出場したんです!!
あ…でも全国には行けませんでした(笑)
とはいうもののこの大会に出ること自体が
なんかすごいことのようで…
その自覚が私にないことがまた恐ろしかったりしますが…
事の経緯は…中学3年生の6月頃の話…
私の母校では英語教育が非常に盛んで
ネイティブの先生による会話の授業や英検の積極的な受験、
英語のスピーチ大会への出場、オーストラリアの修学旅行など
英語に触れる機会が多い学校でした。
英語のスピーチ大会においては英語部などはないものの
全国大会進出者をこれまで何人も出していて
その界隈では結構名前が通ってる…らしいです。
高円宮杯に関してだと…
まず毎年6月ごろに県予選出場のための校内代表選抜が行われます。
私の母校では選抜の段階では英語の得意不得意は問わず
スピーチの内容重視で選抜していました。
(他の学校だと英語部の生徒の中から選んだりするみたいです)
校内代表は私の母校の場合3年生2名、2年生1名と毎年決まっていました。
(これは私の母校の話で本来は3年生3名とか2年生3名とか
学校から3名までであれば学年は問いません)
スピーチの内容は原稿用紙5枚程度の日本語で書いて提出。
「作文提出した人には通知表の点数上乗せするよ」が
先生の決まり文句でした(笑)
私は2年生の時も点数欲しさに作文を提出。
3年生の時もそのノリで提出しました。
夏休みが直前に迫った頃…
放課後に英語の先生に呼ばれました。
「高円宮杯の代表に選ばれました」
…え??
私が…??
ええええええええええええええええええ!?!?
職員室で叫んでしまいました(マジ
「提出してもらった作文の中で(旧姓)さんの内容が一番良かった。
ぜひ出場してもらいたい」
その時の作文の内容とは…
この記事の中でも綴った初めて韓国に行った時の話です。
ちょうど焼肉屋さんでの話を書いたんですが
そのことが「内容に国際色がある」と評価されたようです。
(ちょっと待って…待って待って待って…)
何度でも言いますが…
通知表の点数欲しさの本当に軽いノリでした。
それがまさかの展開に…
にわかに信じられず「無理無理無理!!」と言ったものの
「こんなチャンス二度とないから!!」と説得されて
学校代表に選ばれました。
当時の私にとってスピーチ大会に出ることは
「雲の上の存在がやること」だと思っていました。
というのも母校の歴代選出者の多くは学年トップクラスの成績だったり
生徒会に所属していたり…など
要は「優等生」と呼ばれる人たちが選ばれていたので
自分とは縁遠いものだと思っていたのです。
中学3年生の時の私と言えば…
勉強も部活も遊び半分で中途半端。
ひたすらに自分の趣味を追いかける日々。
生活態度もそんなにいいわけでもないし…という
だるんだるんの中学生でした。
(選ばれたからには…やるしかないよな…)
本格的な練習は2学期に入ってから始まりましたが
夏休み中にまさかの事態が起こりました。
母が急病により長期入院を余儀なくされたのです。
夏休み半ば頃に入院したのですが
どうやら2学期に入っても入院は長引きそうという事態に…
当時母は仕事をバリバリこなしながら
出勤前には洗濯と弁当作り、帰宅後は晩ご飯…と家事もこなしていたので
「2学期入ってから家事とかどうするの…??」って話になりまして…
大会の練習は放課後毎日予定されていたので
帰宅するのは18時を余裕で過ぎる頃。
当時まだ幼稚園生だった弟や存命だった父方の祖父が
毎日お腹を空かせて晩御飯を待っていたため
「私が家事しなきゃ」という使命感が強かったです。
そのため一度は大会を辞退することも考えました。
でも母からの「それ(辞退)は絶対にしたらいかん。あんたは選ばれたんやけ」の一言で
選ばれた人間としての責務を全うしようという気持ちに変わりました。
自分自身もいつ退院できるかわからないという大変な状況に置かれながらも
後押ししてくれた母の気持ちにも応えたかったのです。
そして2学期に入り
まずは私が書いた作文が英訳されたものを発表原稿として渡されました。
文中には当然授業では習っていない難しい単語もたくさんあり
単語の意味とどう発音するかを調べることから始まりました。
それから徐々に原稿を読む練習に移っていき
英語の教科担当の先生、ネイティブの先生に
英語の発音を徹底的に鍛え上げられました。
ネイティブの先生は結構ストレートにダメなところはダメと言ってくれていたのですが
当時からお豆腐メンタルだった私は
泣き出してしまうこともしばしば…(情けない
先生たちからかけられる期待に応えようと必死な反面
家に帰るとなかなか練習する時間も確保できず
他の代表の二人とも練習量の差が出てくるようになってきました。
誰も家事をしながら日々学校に通っていることを慰めてくれる人もいないし
やる気が全て空回りしていました。
上手くいかないことの方が多い日々でした。
学校帰りには母が入院している病院に寄って帰っていましたが
母を目の前に気持ちが弾けてしまい泣いてしまったこともありました。
練習はどんどん進んでいき
なかなか先生たちに褒められるシーンもないままでしたが…
スピーチ原稿を暗記する段階に入った時に
私は自分の「ある特性」について思い知らされたのです。
練習も佳境に入って来た頃に
「そろそろ(原稿)見ないでやってみようか」と先生に言われました。
翌日の練習で「ダメ元で一回通してみます」と保険をかけて(笑)
4分半ほどの原稿を見ずに読んでみました。
ほぼ単語が飛ぶことなく読み上げることができました。
これには先生たちも驚きを隠せなかったようで
「(旧姓)さんすごいよ!!どうやって覚えたん!?」と
感嘆の声をあげていました。
この時私は何も特別なことはしていませんでした。
敢えて何かしたというのなら
読みの練習をしているうちに覚えてしまっていたのです。
実は同じ現象はピアノを習っていた頃にも起こっていました。
発表会では譜面を見ずに弾くので暗譜することになっていましたが
練習をしていくうちに覚えてしまうのです。
なので「暗譜するよ」といきなり言われてもすぐに順応できてしまう…
とにかく練習の段階で目と耳と指と足(ペダル)に覚え込ませてしまうのです。
自分では全く意図していません。
この時の私もピアノを弾く時と同じように
原稿を読む練習の段階で目と耳と口に覚え込ませていたのです。
このことを先生に話すと
「いやいや普通の人そんなことできないから!!」と言われ
「え…これってすごいことなんや…」と気付かされたのです。
そしてもう一つ。
今でもいろんな人に言われますが
声がデカい!!(笑)
「声量があるだけでなく通る声」とよく言われるんですが
物心ついた時からずっとこれなので私には自覚がありません(笑)
「(旧姓)さんは本当にいい声をしている。
しかもよく通る声だからスピーチの内容に説得力が増す。
これはスピーチにおいては誰にも負けない武器よ」
先生にはそう言われました。
自覚していない暗記力
デカくてよく通る声
この二つの自分の武器に気付いた私は一気に自信が出てきて
急激に褒められることが増えました。
その後は本番までとにかくいろんな人にスピーチを聞いてもらいました。
学校中の英語の先生にはみんな聞いてもらってるし
英語の授業中にクラスメイトたちの前で発表もしたし
全校朝礼の時に全校生徒の前で発表したこともありました。
そして福岡県予選本番。
会場に到着して受付を済ませたら発表順を決めるくじを引きました。
他の二人は割と早い順番だったんですが
私…なんと…
大トリを引き当ててしまいました(笑)
自分の順番が回ってくるまでがとにかく長く
途中空調による空気の澱みか何かで頭痛が出てしまったりもして
引率の先生に鎮痛剤をもらって何とか本番を迎えていました。
大トリということは自分以外の全てのスピーチを聞いてからの出番ということになります。
それまでの発表を聞いて、自分のこれまでの練習の内容を振り返った時に
「いける!!やれる!!」と思うことができました。
校内での発表では一回一回に緊張していましたが
本番では全く緊張することなく
自信を持って、胸を張ってスピーチをすることができました。
そして結果は…
全国大会進出どころか入賞もなし。
でもどこかスッキリしていました。
「やり切った」という気持ちが強かったからだと思います。
自分には程遠いと思っていた英語のスピーチ大会で
自信を持ってスピーチできたことが
私には大きな財産になりました。
会場には父が駆けつけスピーチの様子を撮影してくれていました。
その様子を母は画面越しに見てくれました。
…以上が中学3年生の時のお話でございます。
ちなみにこの時に英語の発音をバチバチに鍛え上げられたおかげで
大学時代はいろんな人に褒められました。
一般教養の英語の授業で会話重視の先生には特に褒められていて
ある男性の先生は座席表の私の名前の横に
“fluently”(英語で『流暢な』の意味)と書いていました(笑)
ネイティブの先生の会話の授業も受けましたが
先生の前で課題の文章を読んだ時に先生は目を真ん丸くして
“Beautiful…”と声を漏らしていました。
「英語専攻でもこんな発音キレイな人なかなかいないですよ…」
とまで言わしめてしまいました(笑)
とはいえ英語の成績はさっぱりです(笑)
発音がいいだけで自分が伝えたいことの単語が出てこないという
結構重症な部類です…
でもまぁ…仕事でもインバウンドなお客さんが多いので
勉強したいなぁとは思いつつ…できてません。
そこら辺も少しずつがんばりたいですね…
私にこのような機会を与えてくださった母校の先生方に
改めて御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。