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私と旦那。
どうも。KAYOです。
今回は私からは切っても切っても切り離せない
音楽活動においてのパートナーであり
人生のパートナーでもある
私の旦那様についてのお話です。
![](https://assets.st-note.com/img/1668349063522-lLYc53330v.jpg?width=1200)
出会いは今から9年前。
当時音楽活動を始めるにあたって楽器ができる人を探していた私。
なかなか一歩が踏み出せずにいた頃に
知人から一人の男性を紹介された。
それが後に夫になるEiichiro。
旦那のことはSNS経由で名前だけは知っていた。
3ピースバンドでベースを弾いていて
写真からして随分年上の人だなと。
その程度の認識。
知人の話によると所属していたバンドが解散して
歌い手を探しているとのことで
迷って迷って連絡を取ってもらい
あれよあれよといううちに直接会うことに。
それが2013年4月29日。
前々日、前日にGLAYのライブに参戦していて
その感動を引きずりつつ小倉駅で待ち合わせ場所に着いた。
私が抱いた第一印象は
「写真で見た通り…なんか神経質そうなオッサンやな」だった(笑)
おもしろいこととか言いそうにないって思っていたし
歯を見せて笑うこともないんだろうなって思っていたし
何よりも絶対この人には冗談は通じないと思っていた。
一方の旦那の私の第一印象は
「ヲタクやん」だったらしい(笑)
集合場所に着いた私はGLAYのライブで購入したショッピングバッグ片手に
塗ったまま落としていないネイル(黒色)をしていたからそう思ったらしい。
というかもう佇まいからヲタク臭がしていたらしい(笑)
まずは話をするために魚町銀天街のスタバへ移動し
どういう方向性でやっていくかとかそんな話をした。
その後まずは私の歌を聴いてから本当に一緒にやるか考えてほしいという私の提案で
カラオケボックスに移動して…2時間くらいは歌った。
そしてユニットを組むことになった。
![](https://assets.st-note.com/img/1668353705914-rsnJsTt2WH.jpg?width=1200)
二人ともやせてますね(笑)
こと音楽に関してはプロ並みの知識と技術を持つ旦那。
(おだてているわけではなく本当にそう思ってます)
その旦那に私がついていけるのか…正直不安はあったけど…
あれよあれよといううちにファーストライブが決まり
私が書きためていたオリジナル曲にコードを付けたり
練習練習の日々…
旦那の厳しさに逆ギレして何回練習中にケンカしたかわからない。
それでも半年、1年、2年…
ライブ本数も50本、100本…と重ねていった。
本当に感謝しかない。
そして…私は割と早い段階で
「異性」としての意識を持っていまして(笑)
そして割と早い段階で付き合うことに(笑)
どこでそう思ったのかわからないけど(笑)
「この人といると自分が自分でいられる」と思ったから
家族よりも一緒にいる時間の方がどんどん長くなっていった。
でも…周りにはそれを悟られたくはなかった。
その頃は「男女ユニットだからそういう関係なんでしょ??」っていう
先入観を持たれることが嫌だった。
付き合っていることを大っぴらにはしたくなかったのだ。
結成当時…私25歳。旦那46歳。
その年齢差22歳。(私が早生まれなので計算がややこしい)
世間一般からしたらタダでさえ稀有なカップル扱いされてしまう。
色物の目で見られたくなかったのはあった。
![](https://assets.st-note.com/img/1668353887092-Iz5CqIqKqn.jpg?width=1200)
お店のオーナーさんにケーキをいただきました。
二人の関係に変化があったのは2016年の夏。
旦那は当時お母さんと二人暮らしだった。
そのお母さんが突然倒れて亡くなった。
旦那のお母さんとは亡くなる前に3回ほど会っていた。
当時の私は実家から旦那の自宅近くの職場に電車通勤していたのだが
大雪、熊本地震後の余震、花火大会後の混雑に巻き込まれたくないなど
通勤に支障をきたしそうな時に泊めてもらったことがあったのだ。
最後にお会いしたのは亡くなる10日前だった。
花火大会後の混雑に巻き込まれたくなくて泊めてもらった翌朝。
旦那とお母さんと私の三人で朝ご飯を食べた。
ちょうどその時リオ五輪があっていて
テレビをつけたら卓球の女子団体戦をやっていた。
「あ、お母さん!!愛ちゃんが出とりますよ!!」とか言いながら
朝ご飯を食べたのを今でも覚えている。
その10日後に亡くなったのだから…私もショックが大きかった。
お葬式が終わって旦那の家にお焼香をしに行った。
そこで初めて旦那が泣くところを見た。
その時に私は直感的に思った。
「私が…この人を支える…!!この人とずっと一緒にいたい!!」
同情でも何でもない。
直感でそう思ったんだから。
私の前で自分の感情をストレートに出してくれたことは大きかったのかもしれない。
それから私は旦那や自分の休みに合わせて
頻繁に旦那の家に出入りするようになった。
たぶん私がいなかったら旦那は仕事の日は毎日コンビニ飯だっただろう。
夜勤明けでほかほかのご飯を炊いて待ってたこともあったっけ。
(今は旦那の方が早起きw)
次の年には完全に同棲が始まった。
私が喘息になったりいろいろしんどいことが続いた時期で
一番支えてくれたのは他でもない旦那だった。
親や兄弟よりも理解のある旦那。
絶対ずっと一緒にいるって確信に変わった。
出会いから丸5年の2018年4月29日。
めでたく入籍。
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私…喘息でのステロイド大量投与による副作用(ムーンフェイス)で顔パンパン(泣)
そして…来たる2023年4月29日。
ユニット結成10周年、結婚5周年を迎えます。
振り返るとあっという間だった。
けれどこうやって文字に起こしたら軽く2000字超えてしまった(笑)
今は本当に毎日楽しく過ごしている。
基本二人でいる時は何かしゃべってる。
うるさいのは大体私(笑)
旦那の発言のおもしろさはピカイチだし
たまに笑いのツボにはまって泣くほど笑うこともあるし
冗談だらけで振り回されてる。
元々の年齢差に加えて私の精神年齢のガキっぽさが故に
「夫婦」というよりは「娘とその保護者」みたいな私たち(笑)
でもどこに行っても「仲がいいですねぇ」と言われるのは
旦那の器のデカさ、寛容さのおかげ。
本当にいつもありがとうございます。
妻らしくない妻ですが
これからもどうぞよろしくね。
愛してます。
![](https://assets.st-note.com/img/1668354780298-8nQbeLBkPR.jpg?width=1200)
最後まで読んでくださってありがとうございます。