見出し画像

51歳 釜山で夢の韓国料理留学!⑥

飛ぶなら今かな

前回より少々時間が空いてしまいました。
釜山から帰ってきて2ヶ月ともなると記憶が薄れてしまう・・・いや今のところまだ上書きはされていないので大丈夫。このまま進みます!


さて、私の中で料理学校はほぼ決まりました。
前回までのお話はこちら↓

2023年の夏。
学校のメンター(担当者)と面談をしてほぼこの学校に決めました。
金額、立地、授業内容、施設などトータル的に見てもこの学校だと問題ないな、と思いました。この時のメンターさんが(女性)かなり早口、しかも釜山弁が強く、途中聞き取るのにメゲそうになったものの、お金や授業内容についての大事な話なので「チョンチョニ マレジュセヨ〜💦」(ゆっくり話してください〜)と何度かマシンガントークの軌道修正をし、彼女もNAVERを使い訳してくれながら、とにかく全体を把握することができたのです。思えばここが一番難関だったわ・・・汗

帰国してからもそのメンターさんから時々カトク(カカオトーク)で「かよニム〜いつ来られますか?」と入学についてヒアリングがあったものの、まだその頃は(この後に及んで?)まだ行けないんですーと答えていました。
と、いうのもこの夏、私は卵巣嚢腫の摘出手術を受けてて、健康体にはなったもののお腹にメスを入れたことにより若干体力が落ちていたのと、手術で一週間仕事を休んだその数ヶ月後に退職するのもねぇ・・・という気持ちがあり、とにかく今じゃないなと思っていました。
行動力はあるんですが、根本的に慎重で疑い深いタイプです。笑


新しいメンターとの出会い

2024年。
年が明けて新しいメンターさんとやりとりを始めました。
上記の方から他店に異動になることを聞いてからしつこく「私のことを次の方に引き継ぎしておいて下さいね!!!」とお願いしておいたので割とスムーズに話ができるようになりました。新しい彼女もとても良い方で、「私が全力でお手伝いするので、いつでも時期がきたら連絡ください!」と強引でもなく急かすわけでもなく、時々カトクにメッセージをくれたりしました。メールだけでも彼女の人柄に良さが伝わり、時々折に触れてカトクのやりとりは続きました。

明日死んでも悔いがない生き方をしたい

この年の春前にショックなことが起こりました。
前職場で期末の社内の業績&成果発表会が行われました。
発表会後、他拠点の同じ課の方が突然倒れ、意識が戻らずそのまま二日後に亡くなってしまったのです。その方はそれまで元気に発表もして、タバコ休憩までされていたようで本当に突然のことでした。

そこまで交流が無かった方ですが、私はものすごくショックを受け、しばらく気が重い日が続きました。
彼は朝、自分が午後に倒れるなんて絶対思ってなかったはず。
まだやりたいこと、会いたい人があったはず。

人はいつ死ぬかわからない。
私はどうか?そりゃ今までも好きなことをやって来たけど、まだまだやりたいことがある。命が尽きる直前に「まあこれくらいなら逝ってもいいかな」と思える生き方をしたい。今の自分より成長した自分なら、明日死んでも悔いがない。
そんな人生を送らなきゃ。

やっぱり私、韓国に行こう。

心が決まった時でした。

留学に行くのは秋頃と決め、
誰にも言わずに動き始めました。
メンターさんと密に連絡を取り始め、退職までのスケジュールをざっと決め、
密かに密かに進めていきました。
仕事的にもここでの成長はもうないなと感じていたし、そもそも2ヶ月の休業制度なんてない。当時50歳で秋には51歳になっているけど、なんだかもういろいろキリをつけるにはいい時期だなと感じました。
また同居の母親も今はバリバリ元気だけど、いつ寝たきりになるかわからない。

こうやって辞める理由を言ってますが、行くなら今だなと思っただけです。はい。

梅雨の時期に上司に退職の意向を伝え、
8月にメンターさんへの挨拶と学校の最下見のため渡韓し、11月末から入学することにしました。
こうなりゃ動くしかない、そんな気持ちしかありませんでした。


2024年は上記の方以外にも身近な人達が亡くなったこともあり、死生観について考えることが多かったです。年齢的にもいつ自分がそうなってもおかしくない。それならそれまでに自分の中の「やれたことタンク」を満たしておきたい、と思いました。留学に行ったから幸せになるとは限らない、この先のキャリアになるとは限らない。それでも長く勉強してきた韓国語と料理に関して、「証」というか「形」が欲しかったのです。そして、それらがこれからの私の励みや自信となるのでは、と感じていました。


いいなと思ったら応援しよう!