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エフェクチュエ―ションを意識すると行動が変わる話

「スナックレモネード」お手紙係りの谷口千鶴です。
「スナックレモネード」は優れた起業家がしているという思考様式・エフェクチュエ―ションを実践するビジネススクール発のコミュニティーです。

エフェクチュエ―ションを生活に取り入れるようになって一番の変化は、様々なリスクがとりやすくなった

たとえば、7月の話なのですが、私は、『京都大学経営管理大学院寄附講座 4つの「しごと」を楽しむ...私事、仕事、志事、使事 〜エフェクチュエ―ション的な生き方〜』のパネリストとして登壇する機会をいただいた時のこと。エフェを知る前の私だったら、間違いなくお断りしていたと思います。理由は「恥ずかしいから」。しかし、エフェクチュエ―ションの理論を当てはめると、自然に御受けすることができました。

その行動は許容可能な損失の範囲内か?

エフェクチュエ―ションでは、何かの行動をするとき、その行動は、自分にとって許容可能な損失なのかどうかを問うプロセスがあります。

この時私は、このパネリストというお役目を引き受けることで起こる・受けないことで起きる損失を即座に考え、「受ける」選択をしました。

引き受けることで起こる損失は、「私の精神的コスト」です。つまり「恥ずかしい」という気持ちです。引き受けないことで発生する損失は、「私に声をかけてくださった関係者の方への期待」でした。私はこのお話をお断りすると、「恥ずかしい」という気持ちは持たずに済みますが、まがりなりにも「私に声をかけてくださった先生や主催者さまの期待」は失うことになります。少し考えるとどちらを選んだほうが得かというのはわかりそうですが、私は、これまでの人生ではだいたい「恥ずかしいからやらない」という気持ちを最優先にしてきたと思います。お声をかけていただく機会もまあまあありましたが、どうしても「恥ずかしいから無理」と反応的に対応し断ってきました。しかし、「お声がかかる」というのは、周りの人が「私の良さ」に気づいてくれてのことです。その上でお声がかかっているのに、これまでの自分はなんて独りよがりだったろうと反省しました。そもそも「恥ずかしい」なんて私の気持ちは私だけのもの。私が許容すればいいだけの話なのです。それより失いたくないのは、「お声をかけてくださった方からの期待」でした。これを天秤にかけると自然に体が動き、「喜んでお引き受けします」と思ってもみないことをお伝えすることができました。

お引き受けして変わったこと

後日、自分以外の登壇者の方が、京都大学経営管理大学院 客員教授の竹林一先生だったり、京大起業部インターナショナル(KUIEC)代表の赤城 賀奈子(あかぎ かなこ)さんだったり、過ごすぎて、軽く後悔することになるのですが、「お受けする」という選択から、新しいご縁や繋がりが生まれました。同期の皆さんがラインで応援してくれたこともとても励みになりました。講演中もいろんな人からラインがきたりメッセンジャーが届いたり...。

また、この講演をきっかけに、竹林先生とFB上なので少しやり取りさせていただけるようになり、ノリで「エフェクチュエ―ションライフデザイナー」という肩書を付けることになり、名刺には入れることになりました。エフェクチュエ―ションが大好きな私にとってはこんなワクワクすることもありません。影響力の大きさはまるで違いますが、同じパネリストというお立場だった赤城さんも本当に慈愛に満ちた良い方で、後日、大切な時間を割いて下り、いろいろなアドバイスをくださっただけでなく、パートナーで日本有数ビジネスライバー赤城 良典さんをご紹介くださって、レクチャーを1時間にわたり聞かせていただくこともできました。

このほかたくさんのご縁をこのパネリスト体験からいただくことができました。「恥ずかしい」なんて気持ちをはるかに凌駕する収穫がありました。

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