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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第193回 第159章 先制ネコ・パーンチ!

 私はついに来たか、と覚悟を決めた。猫を飼ってくれというのだろう。これは困った。知り合いから恐怖の猫談義をいくつも聞かされたことがあったのだ。それらは猫禍譚(びょうかたん)とでも名付けられそうである。やれ2年以上かけてほぼ完成していながら最近数週間もバックアップしないままだった英語論文を、キーボードにおしっこをかけられて一瞬で消されてしまっただの、やれ深夜に階段を降りようとした時に後ろに殺気を感じて振り向きかけたところ、顔に飛びかかられて転落して左腕を骨折しただの、やれ風呂場で髪を洗っていて目を閉じたままリンスに手を伸ばそうとした時に、猫がドアをこじ開けて隙間から侵入してくる気配がして、瞬間的に反射神経で力一杯エビ反って、臀部はタイルの壁にめり込むわ、その分外壁は出っ張るわ、尾てい骨にはひびが入るわ、腰痛にはなるわだの、コワい話ばかりであった。だから、殺傷能力のある小型猛獣の猫を飼うことだけは死ぬまで避けておきたいと決意して今日まで生きてきたのだった。
 うちの寺でも番犬以外ペットは一切飼ったことがなかった。このガード・ワンコはチョコレート色の毛をしていたので、Schokoladeの略のSchokiと名付けた。漢字名は発音はちょっと違うが鍾馗にした。母イヌやきょうだいたちとの永遠の別れの際に、それとも気付かずに初対面のうちの人間に選ばれて抱きかかえられ、小さな舌を出したまま、家族と2度と触れ合うこともなく車に乗せられてやってきたのだった。何日間もくんくん泣いていた。ごめんな。ひとりで生きるイヌ。何もことばで説明できないその誠実な眼差し。いじらしくて、涙が出てくるざんす。それとも、立ち上がってジェスチャーで教えてくれるかい、どうしたいのか。ふん、ふんふんふん。再び、「それは置いといて」続けるが、この犬は利口で、ほんの子犬のころにすぐにお手を覚えたので、ついでにお足と言ってみたら、まだ短い片方の後ろ足を上げ、律儀な表情でそのままの姿勢でゆっくりと後ろに倒れていった。さあ、雨も上がった。一緒に走りに行こうな。今日もおいしい餌があるぞ。
(「今すーぐちょーだいー、わんわーん」)。
 結婚した時点で片目をつぶり、子どもが生まれてきた時点でもう片方も閉じなければ、父として家族を守って行くことはできない。子どもが何かを望むなら、なけなしの財産を質に入れ、香典の前借りをしてでもその願いを叶えるように努めなければならないのである。自分自身の自由は子どもが大学に進学した後までお預けである。それにしてもいつもと違う臭いがするな。くん、くん。何だか分からないな。すると、キッチンの方から「ニャー」という声が聞こえた。まさか。
「もらったんだよ! 4ぴきもだよ!」
(ゲッ)。
「横浜のマミーがプレゼントしてくれたんだよ!」
 あらー、拙者には今回もまた事後承諾強要ざんすか。これが、ニャン密生活の始まりであった。その日以降、家に帰ると、そこに猫がおんねん。自分のことは決してお婆ちゃんともグランマとも呼ばせない義母がまたまたやってもうたのである。セシリアよりさらに強い女性がこの世にいるのだ。この母娘連合軍は鉄壁である。主権概念は結婚してみると一発で理解できる。翌日、旅館の布団部屋を天井まで埋め尽くし兼ねない分量のキャットフードが届いた。化け猫印である。今世紀後半まで持つかも知れない。さらに翌月、化粧箱に「ネコちゃんたちに」というメモの入った揃いのセーラー服と帽子が送られてきた。この義母の手製である。しかも、ネコの成長に合わせて次々と着せ替えられるようにと、数サイズ分、番号を付けて重ねてある。これらを着せた写真を撮って送り返すようにとのお達しである。金縁の色紙に余計な文字が書かれている。
 人は右
  車は左
   ねこ自由
 だとお。付箋には、「これ、トイレに貼ったらいいんじゃないかしら」とある。ふーん、このメモはもっと余計だな。そのようなことがその後何度も繰り返された。夫というものは決して自由になれないのだな。
(「あら、世の妻たちはもっともっとひどい目に遭わされているのよ」)。
 ここで中途半端な一句を捻り出そう。
  義母だもの
   丸原浄の助ン
(小さな声で言っておく。自由なのはあんただろーが、なめンなよ。きゃー、ついに言ってもうた)。
 それにしても、私はなぜ娘たちに勝てないのかが分からない。
「ぱぱがよわいからだよ」
「だよ」
 こう言いながら私を見上げるふたりの目の可愛いこと。
「あいすくりーむたべたい」
「たべたい」
(オレはウィスキーをロックできゅっとやりたい)。
 私はせめてもの抵抗として猫の名前だけは自分でつけることにした。東京時代は幽玄四暗刻という築800年のアパートに住んでいたので、麻雀に関係した名前にした。チャンタ、チンロートウ、タンヤオ、イーペーコーである。別名は、それぞれ東、南、西、北である。うっかり2匹に同じ「チ」で始まる名前を付けてしまったので、セシリアに「紛らわしいでしょ、この子たちストレスになるわよ」と言われてしまった。このネコたちに聞こえるところで、「チ」で始まる他の言葉を発し始めても、チャンタとチンロートウは、自分の名前が呼ばれるのかと警戒の目付きをする。残りの2匹は黒のサングラスを着用し、すっくと後ろ脚で起立して前足を背中に回して体操の「休め」の足付きをする。気を付け、ピッ。(「なめンなよ」)。まあ、凜々しいお姿。
 でも、ひょっとすると、私がこのような名前を猫たちにつけるようにセシリアが私の耳元で毎晩ささやいていたのかも知れなかった(睡眠中教唆)。別の1匹がずっと昔の水道橋から私と一緒にいるのだったな。ただ、いくらこの妻と義母が強いと言っても、十二支の動物全部を我が家で取り揃えさせられた訳ではない。北海道に永住したくて日本に帰化したベトナム人の外科医の同僚は、「ベトナムの十二支にはニャンコが入ってます。北海道も何か別の組み合わせにしてみてもいいんじゃないですか」って言っていた。北海道十二支ねえ、どんなのがいいかな。全部寿司のネタで揃えてみようか。それともスイーツにしてみようか。どっちも、とても12なんかに収まらないな。
 横浜から強引に送り込まれてきたこの4匹が少し大きくなったら、雀卓に向かわせて、それぞれ後ろにコーチをつけて麻雀を教え込んでやろう。ネコのマージャンだから、ニャンジャンだな。
「あ、これはポンをして」
「ニャポーン!」
「今度はチーだよ」
「ニャチー!」
「手が揃った。上がりだ」
「ニャローン!」
(後ろを振り向いて)
「ニャカン?」
「ダメッ、まだその手は早いよ」
「ニャオーン! (いいっじゃないっかよう。後でサーカスのオートバイ曲乗りみたいに走り回って部屋中滅茶苦茶にしたるぞ、われ〜)」
 うちの娘たちはふたりとも本人たちの希望通りイギリスの大学にやった。でも、だが、されど、しかれども、父ちゃんは別にちっとも寂しくないぞ、ホントだぞ。ただ、背中は寒くなったままだ。今回こそ本当にグレてやるんだオレ(い○○○、○や○○、○○ー○、○○○ん)。
 さらにその3年後、息子がボクの祖父と父の共通の母校に合格した。

第160章 息子が京都に行ってまう https://note.com/kayatan555/n/nd66b692ee9aa に続く。(全175章まであります)。

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