『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第60回 第49章 怒り狂い遊ばされるおシメ様
剣道その他で肉体を鍛えていたのが役立った。危ういところでこのモデルはまったく怪我をせずに済んだ。だが、ボクの顔にはこのモデルのリングがかすり傷を作ってしまっていた。胸がはだけそうになったが、何も見えなかった振りをして、ボクはこのモデルをゆっくりとしゃがませ、床に落ちた総入れ歯を拾って埃を払って口にカパッと装着してやった(ウソ)。
このモデルは日本語ができなかったが、ボクを抱きしめて、さらに悪いことに、ボクに感謝のキスをしてしまったのであった。それも、口に、ぶちゅーっと3回も。会場は驚愕と嫉妬の空気で充満した、かと思ったら、拍手の渦となった。本当は羨ましいくせに、偽善者たちがその本心を隠して、きれいごとの態度を取って見栄を張ってはいなかったか。
セシリアの方を見た。ご立腹である。怒鳴るような目付きをしている。
え、ダメー? これは難儀でござる。この場合、仕方なかったじゃん? 放っておいたら、このモデル重傷だったよ、きっと。緊急避難じゃなくて、緊急救援だよ。誰か他の人間が助けようと思っても、腰痛持ちだったら立ち上がれなかっただろうし。
地震は20秒続かなかった。まずいことに、この地震発生の前から後まで全部映像記録が残っている。カメラは、地面が激しく振動しても、その動きと独立して姿勢維持のできる機構を備えていた。スキー滑降の際の脚の上下運動にも似ていた。
その後も、場内全員が姿勢を低くして余震を警戒していたが、ボクの唇にはキスの余韻と変な味と臭いが残っていた。開演直前のもぐもぐタイムに何食べてたんだ、あのモデル? まさか納豆ファンじゃないよねえ。ターメリックが歯周病菌を抑えるって、本当かな。もしそうなら、カレーを食べる回数を増やしてみようか。18分後にアナウンスがあって、主催者の判断で、時間を繰り下げてショーを続行することに決定した。ヒュー、ヒュー。
出演者全員が引き続きランウェイを歩き始めた。ランウェイと言っても、滑走路(runway)の意味の方じゃないから、モデルたちが次々と両手を広げて小走りで、えいって離陸していったわけじゃなかったぞい。(離陸ということばで、When I Grow Too Old To Dreamのメロディーを思い出した)。
ショーは何もなかったかのように再開になった。だが、セシリアは激しく焼き餅を焼いて顔が炎上しそっぽを向いたままである。私がそれまでの人生で一度もどんな場面でも見かけたことのない形相になっていた。
「この私を差し置いて、私の男を横取りするなんて絶対許さない!!」
「どへばいいの?」
気を取り直してくれよ。非常事態だったんだから。
ぷるぷる肩が震えていたと思ったら、セシリアはついに立ち上がって、そのまま8歳の女の子のような体の動きで会場から出て行ってしまった。他の観客たちの頭を踏みつけながらである。あの場合、そうさせないためにはただひとつの方法しかなかった。ショーがどうなって行こうと関知せずに、周りの人間がどんなに囃し立てようが、プログラムが終わるまでずっと力ずくでセシリアの唇をボクの唇で押さえつけておかなければならなかったのだ。だけど、そんなことはできませんよー、誰にも。
あーあ、あのカメラ部員は正しかったのかも知れない。接写好きのあの男である。万事に要領がよく、利権を素早く嗅ぎ分け、悪事はバレず、まさに出世タイプであった。物理的にのみ接近して、心の交流にまで行かなければ、相手がどんな女性であれ揉めることはあり得ないだろう。だがしかし、それで人生って言えるか。
電話をかけても不通が続いた。共通して使っているサイトのチャットに何の反応もなく、既読にもならなかったので、あの年でも危篤になったんじゃないかと心配した。思い余ってアパートの部屋の中で立ち上がって、ひとりラインダンスをしてみたが、もちろん何の効き目があるはずもなかった。馬鹿か、オレは?
(「今ごろ分かったのか、お前?」 兄)。
こうして、霧曜日に水道橋で突然始まったあのコとの日々は、湾岸、横浜港、マリーナ、三浦半島沖、隅田川、浦賀水道、勝浦港、江ノ島周辺、東京湾と水に縁のある場所を巡って、再び晴海埠頭でにわかに霧に隠れて行ってしまおうとしていた。いったん成立しかけた関係を水に流してしまうことはできないが、それでも事情が事情だけに、セシリア=木の実(Cecilia-Konomi)というイギリスと日本の間に生まれた勝ち気な医学生とは、あっけなく疎遠になって行った。
完全に切れたわけでもないのだが、横浜の自宅に訪ねて行くことは最後の手段として憚られたし、私が知っている彼女のその他の物理的な居場所と言えば大学だけだった。その在学している医大の名前だけは知らされていた。最初に会った事実上の合コンでの自己紹介で彼女本人が口にしていたからである。しかし、入り口が装甲車か印籠か4歳児ででもなければ突破できないような厳重な警戒がなされている附属病院と同じ敷地にあるのである。この病院は政府・財界の要人やタレントなどの有名人や一部の外国のVIPが極秘通院・入院することで知られていた。そのため、東京の大学らしく、キャンパスと呼べるほどのスペースのないこの24階建ての医大構内に入るのにも、困難な手続きが必要であった。本人からの入構招待がなければ無理だっただろう。そこまではやっていられなかったし、門の外で虚無僧のように籠を頭から被って待ち伏せをするわけにも行かなかった。
「プオー」
ボクはボクで、ドイツ語の特訓から、数学、物理、化学の受験勉強に至るまで、1秒も無駄にできない在学生プラス医学部受験生としての闘いの最中にいたのであった。
第50章 ミカン転がる四暗刻(前半) https://note.com/kayatan555/n/nfa14fe8a4445 に続く。(全175章まであります)。
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