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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第136回 第103章 春から夏への札幌

 北海道のヨットマンは本心は一年中海に出たいのだが、漁師でもサーファーでもない限り寒いうちは無理である。海上で強風下のみぞれになったら立ち往生するだろう。そうでなくても、凍死、溺死、凍傷の危険がある。そもそも浜にいたって、指がかじかんで動かない。トーチカのような目出し帽を被って動かせるのは視線だけである。そのため、ちょっとした手間を我慢しながら用意した熱いココアを飲みながら、ヨットやクルーザーの技術情報を集めたり、南半球のレース実況中継をネットで見たりして気温の上昇を待つ。
 ヨットと園芸の両方が好きな人間なら、カレル・チャペックの『園芸家12ヶ月』のドイツ語版を読んだりしている。原作はチェコ語であるが、発行の1929年からほぼ100年経っているので、おそらくは優れたドイツ語訳なのだろう。毎年、自分がその時に生きている実際の月に合わせた章を読んでも飽きない本である。だが、意味の分からない単語を辞典で引くと、1年前もまったく同じ単語を調べたことに気付いて唖然とすることが度々ある。Aber, bin ich also ein hoffnungsloser Dummkopf?(すると、オレって絶望的なバカということか?)。でも、そのうちにその点に気付きさえしない幸福な段階に進むだろう。
 実際の月と言えば、私は辻 邦生の『夏の光 満ちて *パリの時』に綴られたこの作家の日々の滞仏記録を、自分が生きている日付に合わせて惜しみながら一日分ずつ読んで、私自身のごく限られた経験の中のパリに思いを馳せるのである。『冬の霧立ちて』『春の風駆けて』という他の季節の巻についても同様である。秋の巻は存在しないようだ。この夏篇は6月16日の「北極圏の上で」から始まっていて、9月18日までの、札幌にとってはちょうど夏に当たる期間をカバーしている。ソローの日記にも、江戸時代の記述とはとても思えない現代性を感じるし、ニューイングランドと北海道の気候・植生等の類似性にも驚かされる。読書の中で私はそれぞれの著作の著者たちと、時空、言語の差異の溶解した同時代人となるのである。
 冬の中日(なかび)である1月25日を過ぎるころには、早、冬至より丸1ヶ月も経過しており、日の出が早まり、夕方も明るいままの時間帯が延びて行く。人生まんざらでもないのだ。日本の主要部では札幌よりずっと早く花が咲き出す。この国では、多くの面で、ここ北海道は例外である。
 ヨットをやる人間は、操船中の大怪我を避けるために冬の間に意識的に少なくとも2回は泊まりがけで温泉小旅行に行っておくべきである。夏の間のヨット訓練の際に知らないうちに堆積していた疲労の最後の塊が熱い湯船に消えて行く。行き先はどこでもいいが、できたら、本州の鄙びた温泉がいい。
 その北海道には春が遅くやってくる。春先に雪の間からフキノトウが芽を出し、黄色や紫のクロッカスが真っ先に咲き始めた庭に限らず、市内全域で多くの種類の植物も順調に育って行く。北回帰線が横断していて北海道と気候が夏冬の補完関係にある台湾では、早くも1月に梅も桜も散見される。そのすぐ次の2月は彼の地ではもう春なのだ。VivaldiのLe Quattro Stagioni(四季)を、台北市の大袈裟な名前の大安森林公園で、孫に池の茂みに潜んでいる鳥の名前を教えながら散歩している老夫婦や、ジョギングをしている、少し他人の目を意識した目付きの人たちや、ベンチで自作の日本語俳句の推敲をしている退職高校教師はどのように聴いているのだろうか。日本とはまた異なった感興があるに違いない。その後、東シナ海を北東に渡って、弧を描く日本列島の南西端近くで、アメリカを表すUSの順番で、まず「U」(Ume=梅)が先に咲き、花前線が各地の波打ち際から、鹿の鳴く山の奥まで密に走査しながら東漸、北上し、「S」(Sakura=桜)が後に続く。
 梅が沖縄、九州南部や四国に加え、紀州、知多半島、伊豆半島、湘南、房州といった本州の黒潮に洗われる南端各地で咲き始めるのは雪祭りの前である。平均開花日を比べると、梅は石垣島では1月11日、東京では1月26日、桜は石垣島では梅とほぼ同じであるが、東京では3月26日と2ヶ月の差がある。しかし、その後、これら2つの花前線(fronts florales=フロン・フロラル、Blumenfronten=ブルーメンフロンテン)は次第に相互に接近してきて北海道に上陸し、おおよそ石狩と苫小牧を結ぶ線上で重なる。こうして札幌では5月1日の梅の開花のわずか2日後、ほぼ同時といってよい憲法記念日の3日に桜が開花するのである。場所によっては順序が重複ないし逆転さえしている。あまりに慣れているため、北海道人は意識すらしていないこの常識を、南方、もとい、本州等の人々はまず知らない。
 これら2種類の代表的な春告げ花に限らず、北海道の5月は様々な花が忙しく競演する。いまだに園芸書には北海道では栽培不能と書かれている例の多い柿を植え、立派に結実させている庭も少しずつ増えている。野鳥への朗報である。柿の色は希望の色である。また、花よりも美しい葉もいくらでもある。特に木漏れ日の下ではそうである。
 緯度にかなり差はあっても気候は北海道の大部分とさほど異ならない地方の多いドイツ諸邦の地において、Heinrich Heineはこの季節の美しさを次のように青春に重ねて讃えたのである。

Im wunderschönen Monat Mai(美しい五月に)

Im wunderschönen Monat Mai, 
Als alle Knospen sprangen, 
Da ist in meinem Herzen 
Die Liebe aufgegangen. 

Im wunderschönen Monat Mai, 
Als alle Vögel sangen, 
Da hab ich ihr gestanden 
Mein Sehnen und Verlangen.

 この蝦夷地(北海道)を、猛烈な勢いで東方に領土を拡大し続けていた当時のロシア帝国に奪われなかったのは、江戸幕府下の日本の歴史的快挙であった。そうなっていなかったら、日本は沖縄から青森までの狭っ苦しい国土に過剰人口がひしめき合う悲惨な国になっていただろう。北海道という島のロシア領化は、その地政学的価値から、その後の世界全体の歴史にも大きな影響を及ぼさざるを得なかったであろう。札幌はSatporovsk(サトポロフスク)とでも名付けられただろうか。ダー、イリ、ニェット? (Yes or no?)
 また、幕末期に、庄内藩などが戦費調達のために蝦夷地をプロイセンに売却しようとする動きがあった。江戸にいた同国公使からベルリンのビスマルクに上奏があったのだが、裁可されずに日の目を見なかった。仮に売却劇が実現していたら、北海道はOstdeutschland(オストドイッチュラント=東ドイツ)になっていた可能性すらあった。その首都が札幌の位置に置かれていたら、その名称はSapporoburg(ザッポロブルク)だとかSapporodorf(ザッポロドルフ。ドリフではない)にされていたかも知れない。こうして、蝦夷地はロシア化、ドイツ化のいずれの可能性もあったが、さらにManifest Destinyの海洋版をイデオロギーとして、太平洋を西に進出し続けた上でのアメリカ化も十分あり得ただろう。アメリカ合衆国の第51番目の州、The State of Yezo(エゾ州)である。

第104章 初夏以降の札幌(前半)https://note.com/kayatan555/n/nf08655bf1973 に続く。(全175章まであります)。

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