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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第194回 第160章 息子が京都に行ってまう

「これで、あんたはんたち夫婦も、京大医学部生になった息子はんに合わせて地の果てから文明の地に引っ越して来られたらよろしい」
「けっ、オレたちは札幌・旭ヶ丘に骨を埋めるんでやんす」
(「あら、ワタシは違うかも知れないわよ。でもね、ねえ、浄。スルシャエシュ、間違えちゃったわ、聞いて。わたし、あなたに、大学1年生の前期、人生最高の時期よって言ったの覚えてる? あの時はそう思っていたのよわたし。でもあれ違ってたみたいね」)。
 うちの血縁集団内部での京都と札幌の陣取り争いでは、強力な持ち駒を1つ京都に6年間奪われる形となった。卒業と同時に奪還しなければならない。鴨川河川敷ヘリコプター強行着陸作戦どすえ。ともあれ、旧南北朝双方の親戚たちが、台湾に留学中の2人とウプサラの研究所に就職したばかりの1人を除いて全員揃って進学のお祝いをしてくれた。みんな晴れやかな表情だったのは、あるいは、北海道の様々な産品によるX倍返しを期待してのことだったかも知れない。
 ♪ きっとそうだわ
    あの目付き〜
     抜け目ないのね
      あの笑顔
「何送ってくるかな? アワビなんていいなあ。できたら一生毎月お願い。京都はビクトリア時代の大英帝国、札幌はフランスに肩入れされる前のニューイングランドどすえ。はーやーくう、来い、来い、プーレーゼーンートー」
 祝賀会は有難かったのだが、なにしろ長々しくてあんよが痺れるの。御所近くの総檜の広間で雅楽の演奏なんて、そんな堅苦しいのはやめて、みんなで踊ろう電線音頭。ボリウッドの映画俳優たちも出演する。電線音頭はDensen Ondoになった。
 その後、復活五輪が何度か変則開催され、私は父の2倍の年齢に迫っている。旭ヶ丘の自宅庭にセシリアと一緒に植えた結婚記念樹2本は幸い枯れずに大きくなってきている。もうふたりとも手術を担当することも久しくなくなって、セシリアは市内の某大学副学長になっている。46歳の時に知事選の候補者にされかけたが、英国籍であることが報道され、それ以上の話にはならなかった。
 立派な人生を全うしたおとーさんの遺骨は遺言に従って、横浜、イングランド南部某所、そしてこの札幌の3箇所に分骨した。遺影の写真は若かりし日に母校オックスフォード大学で撮影したセピア調の一枚である。セシリアはこれを見るたびに、柄にもなく、まるで引っ込み思案の小学生の女の子のような声になって、「何よパパ。何で笑ってるのよ」と話しかけるのだが、Daveは静かに無言のまま微笑み続けるだけである。
「何とかしてよ、浄!」
(セッ、セシル。何とかしたいよオレだって)。妻の哀しみに対して夫の私は無力である。
 筋トレと規律の剣士だった祖父は、家族の知る限り一度も怪我も病気もせずに80歳を超え90歳を超え永遠に生きるかとさえ思われたが、次第に木魚を割らなくなっていき、ある日の朝、本堂で檀家のための揮毫をしている最中に筆を手にしたまま倒れているところをお茶を運んできた寺務長に発見された。人の一生で一回のみ本人の耳にしか届かない「お迎えでごんす」という天からの形成権行使の告知が聞こえたのだろうか、絶筆は「ン?」(なぜ今日かな?)だった。それとも、高校生の書道パフォーマンスを真似て、張り切って飛び跳ねながら太い箒のような筆を振り回そうとしたのが脳の血管に堪えたのだろうか。1世紀を超える大往生の人生であった。木魚が割られる度に寺務長さんが密かに業務日誌に貼り付けていた分福茶釜の撃墜マークシールは打ち止めになった。ページにはまだ余白が残っていた。
 葬儀の翌週剣道場にやってきた小学1年生の豆剣士が、「じょうじゅ(浄壽)せんせえ、せんしゅうわいなかったけど、らいしゅうわおしえてくれるの? ぼくせんせえにすじがいいってほめられたんだよ。すじってなあに?」と尋ねた。ぼうや、来週も再来週もずっと無理になったんだよ。
(「なつやすみまでまってもだめなの? ぼくずっといいこにしてるよ。りっぱなけんしわおねしょもしないよ」)。
 私の母は宮の森の高齢者住宅で24時間看護を受けている。入居時に1,200万円必要だった。ステルス金庫の中身が役立った。私の顔を見て自分の息子と認知できているかどうかについて、私は判断したくない。面会するときによって態度が違っているのだ。この間など、私に、「浄、あんたは子どものころからそそっかしかったんだから、セシリア姉ちゃんの言うことをしっかり聞きなさい」と真顔でくどくどと説教をした。セシリアは姉じゃないんだけど。(姉ならまだしも歯止めが利くだろう)。

第161章 放送局時代の兄 https://note.com/kayatan555/n/n2fe501e52267 に続く。(全175章まであります)。

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