『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第206回 第172章 危うく死を免れていたヨット部活動の日々
うちの山茱萸を見ていると、あの若き日々に仲間たちといつもの作業分担で帆を張って七輪の煙の上がる熱い砂浜から次々に出帆して、髪の毛が掻き乱され、贅肉などなかった体が波に激しく揺さぶられていた記憶が蘇ってくる。同じ形の波は存在しないのだろう。ボクらの見てきた波浪も、北斎の観察眼に対して自らの神秘的な正体を一瞬の刹那だけ露わにして見せた波頭も、すべて違う形だったはずである。ヨットが完沈すれすれのきわどい角度で大きく横に傾きながら荒波を蹴って辛くも前進し、次の瞬間には違う方向からの水塊が船底にどかんとぶつかってくる。
„Achtung! Vorsicht!”
ボクらは何度操船に失敗して海に払い落とされ、そのたびに針路を失って漂いながら離れていく船を掴まえるために頂点と底の差が時に最大3メートル以上にもなる、うねる波の間を何十メートルも、それどころか最悪100メートル以上も泳いだことだろうか。
また、枝が何本も空中に突き出していてロープか何かが絡み付いている黒々として重たそうな流木が、高波に運ばれて見る間に迫ってきたことがあった。あれが大波に投げ出されて空を舞ってぶつかってきていたら、ヨットが大破して沈没してしまうか、少なくとも乗船していた誰かが裂傷を負うかしていただろう。全員が甲板から落ちて散り散りになっていたら、そのうちの何人が救出されただろうか。幸い、右舷後方に細い枝先が触っただけでこの木質の悪魔は艇のぎりぎり斜め後ろを通り過ぎて遠ざかって行ったが、あの接近が夜間だったら誰も助からず、ボクらは民法の同時死亡推定の適用を受けていた可能性があった。
母にも兄にも話していないが、まだ晩夏なのに空が暗くなって霰が降ってきた日に、海面下でシャチか何かの大群が毎年恒例の海中運動会の予行演習でもおっぱじめたのか、群青色の水飴を練ったような渦が急に現れて、回転する激しい沈降海流に巻き込まれ、息を吸う間もなく6〜7mの深さに引きずり込まれてしまい、仲間たちが強風下、瞬時に次々と救命胴衣を脱ぎ捨てて飛び込んで潜水救助しにきてくれて窒息死寸前でデッキに引き上げてもらったこともあった。逆にボクが救援者の立場になったこともあった。ボクらはそんな人生を送ってきた。兼好法師は「物くるる友、医者(くすし)、智慧ある友」がよき友であるとしているが、ヨット部での死と隣り合わせの日々を共に過ごした仲間たちは終生の至宝となったのである。
結局ボクらはこのヨット部時代にも、現在に至るまでのそれぞれの人生においても、ひとりも水難死することはなかったのだが、これは僥倖に過ぎなかった。人は洗面器1杯の水でも溺死し兼ねないのだ。戯れに海に出てはならない。決して海で死んではいけない。家族や友人たちを一生苦しませる。まして、自分のせいで仲間を死なせることがあってはならない。自分を信頼してくれていた友を死に至らせてしまうことは、ヨット乗りとして最大の恥辱である。
ボクらは毎シーズン、飽きることもなく同じエピソードを思い出しては同じ箇所で笑いあい、同じタイミングで同じ配役で同じ相手たちをからかうのだった。
陸で亡くなってしまったそうした海だちたちのことが想い出されてくる。なぜボクらより早く逝ってしまったのか。あの笑顔の連中にいったい何の科があったというのだろうか。
風が吹くと洗濯物も乾きますがヨットも走るんです、と話しそびれているうちに、ボクが外語大に合格したときにお祝いをくれた親切な隣人は亡くなってしまった。確かに、雨が降れば埃が立たず、風が吹けば洗濯物が乾くのだ。ボクはひどいお喋りなのに、どうして肝心なことは言えないのだろう。改めてお礼を言いたいとき、なぜその相手の人たちはもうこの世にいないのだろう。
第173章 数カ国語で考える https://note.com/kayatan555/n/nd9cd2a7aebc7 に続く。(全175章まであります)。
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