『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第102回 第81章 落札できたか (前半)
時の流れを阻止する方法はない。いっそ来なければいい開札の日が来てしまった。緊張しながら待ったが朗報はもたらされなかった。
まさか。失敗? 敗北?
手続きをすべて踏んで見たのだが、残念ながらボクらは入札に負けてしまったのだ。ボクらよりわずか3万円高い札を入れていた入札者がいたからだ。現場見学会の車内に、無言の透明人間が潜んでいたのだった。きっと棒高跳びの選手だ。ぎりぎりでバーを乗り越えたのだ。ボクには陸上競技場でそのバーが揺れている様が目に見えるようだった。こちらの額は1,651万円だった(由井正雪の乱。1651年)。この落札者は日本史で受験したのだろうか。いや、思い出した。イギリスでクロムウェルがオランダ船の排除を狙って航海条例を導入したのも同じ年だった。すると、世界史で受けたのか。世界といえば、このころの世界人口は約5億人だったそうな。
あーあ、残念だ。もうちっと頑張って高い金額を提示してみるのだった。20人で割って、ひとりあとたった1,501円多く出せば良かっただけだ。それぞれが本を1冊買う金を追加するだけで勝てたのだ。今からでも何とかならないか。札幌から離れた場所ではあっても、ヨットやクルーザーを何艇も並べて保管できて、いつでも誰の許可も不要で海に出られる夢のような基地が、すんでのところで手に入らなかったのだ。
私がハマナス市のこのインターネット公有財産売却のニュースを掴んで即座に連絡して以来、仲間たちはもう講和条約締結後の戦勝国になったかのような気分で陽気に日々を過ごしていた。笑みが漏れそうになって頬が歪み、ひげを剃るときに邪魔であった。しかも、その何人かは実際に夢まで見ていたのだった。そのそれぞれの夢の中では、我々が入札に成功して、すでにこの物件を実際に手に入れてしまって、学生時代以来久し振りにヨットに交替で乗っては海に繰り出していたのだった。ブランクが長かったので、デッキシューズに履き替えているのに、うっかり温泉と勘違いしてタオルで前を隠して水に入ろうとしてしまう。ああ、極楽、極楽。「そうだ、そうだよ、この感触! ヨットがどんどん滑って行く」
ヨットを支える海水は、ベアリングのどんな軸受け油よりも滑らかだろう。ちょっとした力をかけるだけでも、吹いてくる風がごく微かでも、その上に浮いているヨットは軽く動いて行く。
その海も、日本海北部やノルウェー沖の色ではなく、まるで珊瑚礁の発達した熱帯の明るい色の海であった。熱帯魚が泳ぎまくっていた。黄色いのはチョウチョウウオか。タクアンが泳いでいるはずはないな。それなのにさ、ほんのちょっと、誤差ぐらいの不足で負けちまった。鼻の差どころの騒ぎではなかった。念力で鼻毛を前方水平に急速成長させれば勝てた範囲だったのだ。逃した魚は大きい。大きすぎる。もうオレ、人生で初めてグレてやるもんね。誰かグレ方教えてくれ。東京で第1回目の大学生生活を始めた直後に三浦半島の籠目マリーナで始まっていたオレのヨット人生も、もうお終いだぜ。他の仲間たちもみな傷心であった。これは免疫系にも悪影響を及ぼす。
そうしょげてそれから数日間を過ごした。こんなにがっかりしたのは、いつ以来だっただろうか。毎日、ヨット、くそっ、ヨット、くそっ、と頭の中で罵っていたため、病院のカンファレンスで発言を求められた時に、うっかりどちらかを腹に力を込めて口に出してしまいそうだった。どちらも不適切であった。
「丸原くん、今のは何かね?」
その間にも病院では私も手術室に入って4人の入院患者さんに手術をした。どれほど打撃を受けつつあっても人生は続いて行くのである。同じ日に3人はきつかった。全員快方に向かっている。何よりである。患者さんが回復して付き添いの家族に伴われて退院する日に、笑顔でお礼を言われるたびに涙が出そうになって困る。1回など、小学生の女の子から、「せんせえ、これあげるね。うふっ(ハートマーク。錯誤)」と自宅の庭から持ってきたらしい名前を知らない花を渡されたこともある(球根でなくて良かった)。あたし、こういうのって弱いのよ。
第81章 落札できたか(後半) https://note.com/kayatan555/n/n14dc96de2830 に続く。(全175章まであります)。
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