『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第124回 第94章 左ページのロシア語
数色の付箋を挟んだ重たすぎる英語の外科学事典を、スリッパの上に落とさないように気をつけながらプリンターの横の椅子の上によける。うちの室内に爪先に鉄を仕込んだ工事用の安全靴は置いていない。天板に厚いガラスを敷いた畳1枚の広さの机の上で、左のページがロシア語で右がドイツ語の対訳書を開く。なかなか読み進められないでいる。いっそロシア語検定を受けることにして、受験日から逆算で文法力を強化し、語彙・イディオム暗記に励んでやろうか。こうすると闘争心が沸いて効果的である。受験料や学習教材の費用分は取り戻したいと思うのではなく(そんなものはどうでもいい)、すでに高校1校と大学2校の受験、独検、通訳案内士と医師の国家試験の計6つの関門を突破した時の、限られた諸条件の下で最適解を求める努力の経験を活かせるためである。それに、実は外国語学習ほど単純なものはない。対象の外国語は現存しており、それらを使って生きている人間も多数実在している。自然科学のように未知の相手を探求する訳ではないのだ。学習教材もいくらでも手に入り、しかもインターネットという信じがたいほど便利な道具もある。
ガラスの下には元素周期表、漢方薬の一覧表と対応する商品番号、そして1枚の絵を挟んである。水兵リーベ、朴の船、いや韓国人の船じゃないな。でも、ホオノキの船ならあり得るな。化学は高校生の体力と頭、そして受験勉強の圧力とインセンティブがあるからこそ、その大量の知識を短期間で詰め込むことができる。そうでなかったら、例えば、医学部の入試なのに化学が免除されて合格した学生がいたとして、入学後に独学で化学の十分な学力を身につけながら医学部の授業についていくことは可能だろうか。これは、地面に露出した石炭をみぞれの降りしきる中、素手で掘ろうとするようなもので、初日からまったく不可能である。
高2、高3時代の「3-1-2-1」のリズムを思い出した。この4つの数字を足してみたまえ。7になるだろう。つまり、1週間を睡眠不足を覚悟する3日間と休息を取る1日、また睡眠不足の2日間と休息の1日とに分けて受験勉強その他に励んでいたのだ。高校生諸君、キミらの今の苦しい努力の成果は一生生き続ける。他の誰のためでもない、自分自身のための奮闘だ。ガンバリたまえ。(そうしてくれると、回り回ってワシらがその分楽になるけん)。
絵は昔の札幌を北東の丘珠方面から俯瞰して描いたものであり、狭い市街地の向こうには一部がまだ米軍にスキー場用として伐採されていないままの一次林に覆われた標高531メートルの藻岩山が鎮座している。人口が現在の約10分の1の20万人ぐらいだったころの、曾祖父母たちが若者だった時代の急速に成長中だった新開地の小都会の風景である。1940年の国勢調査まで、札幌の方が函館より人口が少なかったのだ。一度歩いてみたかった異国風の札幌、すでに大部分消滅してしまった魅惑的な札幌がそこにはある。それは、「満洲」のようでもあり、シベリアのようでもあり、アメリカのようでもある。当時のコンパクトな札幌飛行場は北大のすぐ北にあり、開設時、羽田飛行場より面積が広かった。
歴史の皮肉というものがある。アジア太平洋戦争で日本の大半の都市や地域は空襲や艦砲射撃に遭い、灰燼に帰した。広島、長崎は言うまでもない。欧州でも多くの都市が壊滅的な打撃を受けた。ハンブルクではその被害をカタストローフェと呼んでいる。ところが、京都と札幌はその惨禍を基本的に免れたのである。札幌の受けた被害はゼロではないが、ごくわずかであった。すると、日本人移民が人口の大半を占める都市としての歴史の極めて浅い札幌に「古い」建造物が残っており(例えば、旧・北一条教会の木造建築は鉛直方向の直線と三角屋根の交差する簡素で凜々しい美しさだったのだ)、その10倍もの長さの歴史のあった他の都市のずっと歳月を経てきていた家並みの大半が消失して1945年以降に新築されることになるという逆転現象が生じたのである。しかし、その後、札幌も現代に近づくほど他の日本都市に似通った無哲学な顔なし均質化が進行している。本州以南とはもっとはっきり異なる北海道らしさが欲しいところである。これは十分可能だ。
学会での発表原稿や、海外の複数の医学専門誌に投稿する英語論文やその他雑多な仕事の締め切りが波状的に迫ってきている時ほど、にわかに部屋の模様替えや緊急性の低い箇所の念入りな掃除を始めたり、こうして実生活に特に関係のない外国語の勉強をしたりしたくなるのである。まったく困ったものだ。いつまで経ってもダメな拙者ね。
第95章 ラテン語 https://note.com/kayatan555/n/n0af44358a2f3 に続く。(全175章まであります)。
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