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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第122回 第93章 なぜロシア語に惹かれるのか (前半)
私はその他複数の外国語のほんの基礎も身に付けている。医学に関する一般向けの講演の最中に、複雑な文法を何も勉強していないギリシア語の単語を書いてみせると、聴衆を煙に巻くこともできる。しかし、常に気になるのがこの直接の隣人の言語なのである。これはたとえば福岡県の人間なら韓国語や中国語に、ロシア語より強く惹かれるのかも知れず、これもまた自然なことである。数学の問題集を解くのも快感だが、文法の難しい外国語に脳を浸すことほど精神の疲れを効果的に解消できる方法はない。一種の脳の湯治なのである。とは言え、もちろん逆立ちの姿勢で頭からお湯に入る訳ではない。
「なぜ息苦しいのだ? これは恋か? かなり古いが、金色夜叉か、きんいろよまたか? それとも、金色じゃなくて、イヌの方か? ごぼごぼ」
世界のどこにも理想的な国は存在していない。どの国にも、その国民自身が見て、あるいは外国から見て、これさえなかったらどんなにその国での生活が改善されるだろうか、と思われる宿痾はあるであろう。仮に日本の自然災害が世界平均並みに大幅に減少し、アメリカで「刀狩り」が完璧に実施され、と順繰りに世界各国の現状に溜息をつき続けて、そうした問題のある国の言語に学習価値がないと切り捨てて行くと、結局いかなる言語も学習に値しなくなってしまう。
短い人生、暗い面ばかり見ていてはいけない。吹雪の曇り空にも、かすかに太陽の日差しを感じることができるではないか。
ロシアには偉大なる文学の伝統がある。そのロシア人たちの中には、翻訳とは言え、浩瀚な源氏物語を読破した読者さえいる。翻ってわが国には、二葉亭四迷の名を挙げるまでもなく、ロシア文学者やロシア語に練達した各分野の専門家がいる。学業、スポーツ、彼(女)との付き合い(や、突き放し)もこなしながら、ドストエフスキーを全作読み終えた忍耐強い高校生も中にはいるだろう。他の外国語ではなくロシア語を敢えて選んでその文法の苦しさに耐えながら学習している少数の人々は、おそらく、現実のロシアとはまたひと味違った別格のロシア、知識人、芸術家、科学者、そして読書人のロシア、メンデレーエフ、ラフマニノフ、そしてプーシキンらがあまた控えている、燦然と輝く頭脳集団とでもいったようなロシア像を頭に描いているのではないだろうか。そのため、日本とロシアは相互に敬意を持って交流できる素地がある。以前会った国際結婚のカップルは、お互いの母語を話していた。それにしても、忙しい人間ほど読書量が多く、それも顕著に多い傾向があるのは、考えてみれば不思議なことである。
科学や歴史や時事ニュースの文章を使った方が学習効率は高そうだが、とりわけ、私と同じ医師仲間でもあるチェーホフの思索の跡を辿りたいので、当面はこの作家の短編集を優先して解読して行きたい。この結核に罹患していた作家は北海道のすぐ隣の島=サハリンに滞在したのに、稚内にさえ来なかった。帰国時に、長崎にも立ち寄る寸前まで行ったのだが、これも果たさなかった。惜しいところでわが国はチェーホフとの直接の接触ができなかったのである。当時SNSがあったら、「小生は先生のファンです。ロシア語は難しいですが学習中です。樺太から露都にご帰還の際は、ぜひとも小樽と札幌にお寄りください。いっそこちらに数年ご滞在されて、定山渓温泉で温泉医学のご研究をなさったらいかがでしょうか。お背中流しましょうか」などというファンレターを出せたのに(三ヶ月湖症候群再発)。
私は他のジャンルのロシア語をまったく読まないということではない。時折、basic Englishみたいに使用語彙を抑えたかのようなロシア語を読むことがあるが、あまりにすらすら理解できてしまい、驚くことがある。自分で評価するよりは実力が少しずつではあっても伸びているのだろう。
第93章 なぜロシア語に惹かれるのか(後半) https://note.com/kayatan555/n/n29f122cfa95b に続く。(全175章まであります)。
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