『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第147回 第113章 正気に戻る
そうだ。ここはイタリアではなかった。浴場を取り上げた人気映画には、素顔のままでイタリア人としても通りそうな濃い顔の日本人俳優が何人も出演していたが、私自身はイタリア人でもヨーロッパ人でもなかった。
イタリアのことを思い出して大幅に横道に逸れてしまっていた。ここは空港区にある私のお寺の実家である。私はずっとここにいた。脳の中で空間や時間の旅行をしていたのだ。
先ほど形を整えたばかりの枕に、あっし自身の過剰に重たい頭蓋骨がまた深く沈みかけている。生まれる時に、頭が胴体とバランスが取れる許容範囲より2サイズぐらい大きめに育つようにプログラムされてしまったようだ。バイクのヘルメットに入らないというのは辛いっち。皮膚にバイクの模様を直に吹き付けて見せてしまおうか。それとも、俺のおつむは比重の高いウラン製か? ウランちゃんなら可愛かったが、この男の俺が「アッチョンプリケ」などと言っている場合ではない。これは錯誤でござった。ピノコの方だった。
「そんなとこ間違うんだったら、いっそ解剖してやろうか? オレは高いぜ」
(メロン換算だと何個分ですか? できたら、イチジクぐらいに留めてくだされ。野ブドウ1粒分なら、もっと歓迎っす)。
静けさの中で脳が昼間のモードで働き始める。飛行機が離陸時に急な角度で「いきんで」上昇していって、ほどなく水平飛行に移った直後のような感じだ。まるで睡眠中も硬膜の内側で酸素とミントの香りに満ちた微風が葉(よう)と葉(よう)の間を大気循環していたかのよう(葉)に、脳は瞬時かつ明晰に自分が置かれている事態を把握する。
頭の中で今度は日本の昔話を扱った番組の主題曲が聞こえる。アニメに出てくるああいった村に行ってみたい。
「今日は平日だけどー、あっしらは特別に休みなのじゃったー。やっと確保できた4日間連続休暇の初日なのじゃったー。この間だけ、電話番号も自動的に他の番号にランダムに書き換えられる設定にしてあって、どこの病院からも連絡が来ないようにしてあるのだ。わしらは自由なのじゃったー。素敵に無敵に嬉Pのだー」
埒もない思考が青い火花を線香花火のように放ちながらあちこちに飛んで行く間にも、部屋の角の両側にあるカーテンをかけていない縦窓のガラスの色は深海の趣から海と空とを分かつ水平線をようやく見分けられる程度の明度と色彩に近づいて行く。
「当艦はナノバブル(極小気泡)のように最緩速にて浮上中であります。海面に達した後、運が良ければ、そのままの角度で厳かに天に向かって上昇していくでありましょう(昇天潜水艦、フランス語ならスマラン・ダサンシオン。たぶん合ってるこの表現)」
6月半ば過ぎの早朝、ガラスの暗色がさらに薄れつつある堅くて重たいミズナラ材の縦窓を押し上げて部屋に滑り込んでくる花や草や木の香りに満ちた空気の涼しさ、目に入る空のすがすがしさは、3、4歳の女の子が当然のことのように信頼し切って父親を見詰める青みを帯びた瞳の神聖な美しさにも似ている。
想像上の一家でのやり取り。
「実態は、自分はそんなに立派な父ちゃんでもないのだよ。潜在的な自殺を先延ばしにしながら辛うじて一日一日生きているというか。苦しそうだからやらないけれど」
この父親の次女「パパ、くっさーいっ。わたしやだー」
この父親の長女「でも父さんのにおいだ(でも臭い。けど、わたしパパの味方だからね)」
(想像終わり)。
流れ込んできた仮想ところてんのような四角い断面(まさか)の空気塊の強い気圧のせいで、隣の部屋との間のクルミ材のドアは不用意に半開き(長「万!」部)になり、中から雑多な油絵の具やテレピン油やパステルなどの匂いがこちらの部屋にも入り込んでくる。ドアの下の方には、遠い昔のマンガやアニメか何かの何だか分からないキャラクターのシールまで貼った跡が、色がかすれたまま残っている。うまく剥がせなかったのだ。毎年ではないが時々避暑で遊びに来ていた、「南方」(なんぽう。「みなみかた、ではござりませぬ」)のうんと年下のいとこたちの仕業である。小さな体で肩と肩をきつく合わせていとこ団子になりながら無断でせっせと貼っていったのだ。
第114章 私の親戚 https://note.com/kayatan555/n/nd0ad1e78035a に続く。(全175章まであります)。
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