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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第209回 第175章 海だちとの再会

 髪が白くなったり、禿げたり、耳が遠くなりかけたりしているヨット仲間たちが、ご詠歌をラップで唱えつつ、右手に円山が大きく見える坂を喘ぎながら上がってくる。うちの屋根から潜望鏡をシャキーン!と突き出して、高さ、角度、倍率をこの順に調整しながら偵察すると、老けかけてきているあいつらの顔が一瞬若者の顔に戻って見える。その瞬間、このオレも23歳の医学生の顔に還っていたのだろうか? 誰か、わしらの年齢に魔法か何かで徳政令を出してくれないだろうか。自主申告通りの年齢に実際に回帰できるのである。わー、いいなあ。一生でいっぺんでいいからお願いいたす。これ、この通りでござる。
 パリの医学研究所に行っていた知り合いが話していた。その娘さんの小学校の女性担任教師が、「統計学の学習に使いますから、みなさんのママが何歳か明日までに聞いてらっしゃい」という宿題を出したところ、何人もの母親が、« J’ai vingt-six ans. »(ジェ、ヴァン、スィザン。「26歳よ」)」と答えたのだそうである。どうやっても計算が合わないんですけど。これなら統計学などより、むしろ心理学や社会学の研究に役立ちそうである。こういった時に、フランス語では« Oh, là là ! »という表現がある。
 ジェジェジェ、子育て中のパリジェンヌたちのそんな答え方聞がされだら、日本手ぬぐいで長い緑髪をきづーぐまどめで、突堤がら漁港に飛び込みたぐなるど。
 近所のエゾリスたちが燕尾服に蝶ネクタイをして歩道に等間隔で立ち、火打ち石で次々と美濃和紙の提灯に火を灯し、おりんを鳴らして合掌し、お辞儀をして隣に順番を伝えながら、うちのレモン色のエントランスまでリレーでガイドを務めてくれる。お礼にクルミを5,000個用意しておいたから、小型猫車で持って帰ってくれ。また今度も頼む。
 西の空は茜色に染まりながら暮れて行く。真昼の空がサファイアなら、夕焼け空はルビーだ。
「そして夜空は、あ・た・し」
「あんた、誰?」
 巴水の版画に描かれた牛堀の水面に浮かぶ舟は、次第に暗色の強まる夕暮時の風に押されてどこまで進んで行ったのだろうか。乗っていた客は下船して所用を終えた後、どこかの居酒屋の暖簾をくぐり、熱燗でひとときの安らぎを覚えただろうか。つみれ、焼き鳥、ぬた、田楽。
「もう1軒行くぞ!」
「おー!」
 シメはパフェかラーメンか。
 星がいくつか輝き始める。明日はきっと晴れそうだ。
„Du, Liebling!  ねえ、浄?  Bist du wach?  聞いてる?  わたしのこと」
(ゲッ、見目麗しきおシメ様、またまた今度は何ざんしょ)。
「来月のわたしの誕生日に、スモモの大きさのダイアモンドをプレゼントしてね。ボクシングのチャンピオンベルトにつけて、ヘソ出しルックで硯海岸まで一緒に前輪を浮き上がらせながらバイクをぶっ飛ばして、向こうに着いたら、砂浜に素足で大きなハート型を描きましょうよ。尖ったところから背中合わせでスタートして、スキップしながら進むのよ。最後は頭と頭がごっつんこ、唇ぶちゅーで愛情確認、なんていうのはどうかしら。What do you think? Do you agree, my honeybunch?”
 夏の光も君の笑顔もヨットの水飛沫もぼくは全部手に入れた。目には見えないが、ぼくにはもうひとりの笑顔も感じ取ることができる。
 赤と白の縞模様の石狩灯台は、今夜も風に吹かれながら石狩湾の暗闇に閃光を発し続けている。

次回は「あとがき」 https://note.com/kayatan555/n/n8a96c6b4e34f です。

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