『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第73回 第60章 遠ざかる潮風
そうこうしているうちに、二人のベクトルとベクトルは再び交差するきっかけを掴めないまま、時間はどんどん徒過していった。最初はお互いに意地を張って相手が連絡してくるのを待っていただけだった。
「ふん、そっちが何か言いなさいよ」
しかし、それぞれの人生の腱に当たる部分に日常生活の様々な糸が絡まって行くうちに、ボクはセシリアと、よりを戻すきっかけを急速に失ってしまったのだ。それぞれの大学での勉強も厳しくなる一方だった。医師国家試験(国試)も合格率は90%と高いが、残りの10%に入ってしまったら悲惨なことになる。だから、セシリアは仲間の学生たちと競い合って、協力し合って、卒業時に間違いなく合格しなければならないのだ。
ボクもドイツ語という青春をかけるに値する外国語と命がけの対決を続けていた。夢をドイツ語で見る回数が増えていって、ついには、睡眠回数の過半数を超えるに至っていた。日常的にことばに困る事態が増え、日本語ないし英語で話そうとしても、ドイツ語が先に出てくるようになった。これら2カ国語での思考や発話が、特に分離動詞に邪魔をされるようになっていった。例えば、Es stellt darなんて、最初は変な形だと思っていたのに、それに慣れてくると、逆に英語の文法の単純さが際だって感じられるようになった。
ボクとしても確固たる方針で彼女と交際していた訳でもなかった。多くの人々にとって、人生は絶対的困難に阻まれるのではなく、相対的困難の小山や溝続きでゆるやかにカーブを描いて本人の意図とは異なる路を辿って行くことの方が多いだろう。上空から見れば水飴のように滑らかに連続しているような外観の氷河にも、近づいて見れば至る所に大きな亀裂が生じており、その隙間にうっかり落としてしまった日々のチャンスの数々は取り返しがつかないのである。だから、氷河の上でリングを差し出してプロポーズするのは良い考えではない。緊張していて、指先が、すっ、滑るからなあ。
「あ〜、落ちてっちゃったあ」
最悪の場合、婚約指輪を落とすだけでなく、しゃがみ込んだ自分自身が複雑な表面のクレバスにはまり込んで誰にも救出できなくなるだろう。5メートルも下に逆さに落ちて頭を打って気絶したら助かりっこない。救助が来る前に低体温症でアウトになるだろう。
そもそも、ボクは東京にガールハントに行ったのではなかった。子どものころから、祖父に続いて自分も自由自在に使いこなせるようになるのが自然なことだとまで憧れていたドイツ語をマスターするために、家族の全面的な協力を得て、高額な学費に加え、生活費、雑費、その他を工面してもらっていたのだ。
例のミカンちゃんは、日の光と瀬戸内海の空気とビタミンCをたっぷり摂取して育ってきた娘のようで、ボクと廊下ですれ違っても予想通りまったく悪びれる様子を見せなかった。明るいの、これが。
「丸さん、今度レンタカーで千葉にでもドライブにいきましょうよー」
「そうやって養殖いけすに餌をやるように、窓から東京湾に直接吐くつもりですか?」
あの後、本やノートの汚れを取って乾かすのに時間がかかった。ページの歪みは大損害である。それなのに、本人がこうもあっけらかんと無反省では、苦言を呈しようにも、暖簾に腕押し、海上浮遊綱引きのように、決め手を欠く徒労に終わらざるを得なかった。せめてあの夜の迷惑代として、うちの実家に10年間ぐらいミカンを「どっさり」送ってくれ。それが人の道ぞ。高校で習った俳句を思い出した。その転がるほどのおいしそうなミカンの山が別の物に思えなくなるまで、ややしばらくかかった。
東京駅、横浜駅間はわずか25分間しかかからないのに、横浜は再び遠い街に戻っていった。こうして、大学1年生というほんのつかの間の贅沢な時間は、見る間に終わりを告げようとしていた。
「お楽しみはこれだけか?」
だが実は、その後一度だけ、大学を卒業して北海道に戻るまでにセシリアと至近距離まで近付くことがあったのである。
セシリアがいる!
第61章 どう対処する、まさかの事態(前半) https://note.com/kayatan555/n/n5af82d833895 に続く。(全175章まであります)。
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