『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第18回 第16章 ロシア語専攻アメリカ人のカノジョ
話を戻すが、そのアメリカ人留学生との間にakamboはできなかった。もしも女の子が産まれていたら、そのコと母親のふたり揃って私に向かって、そのakimboをして見せたかも知れない。
「パアパアー? なんかいいえばわかるのお?」
(「今やろうと思ってたのに、オレ。それと、わかるの?、じゃなくて、わかるのお?、はやめてくれ。お、のところが心臓にぐさっと来る」)。
当時は、相手の真っ赤に怒った顔を前に、「オレ、演劇やろうかな?」と出来心が起きそうになったほどである。芝居小屋で、下手くそなくせに自信たっぷりな目付きの素人役者の見るにたえない不自然に大袈裟な演技を見かける度にもそう思った。
「オレの方がきっとうまいぜ」
(危ない、危ない)。
下北沢のあの狭い通りのいくつかにも何度も出かけた。その後、駅が立て替えになってしまうなんて想像もしていなかった。新たな緑の空間は面積は狭いが快適である。東京という街はいつになったら完成して平衡状態に達するのか。それとも永遠にそのような日は来ないのか。
ああ、あの変形ビルの東京ラーメンの味を思い出してしまった。メインのメニューは、担々麺ではなく、担々狸のSo-and-so麺と書いてあった。北海道ではあり得ない極端に狭い店だった。あれで都の建築確認や保健所の営業許可は下りたのか。カウンターにへばりついて食べている客と後ろの壁の間は、肥満度10%程度を超えた客は通れないのである。つまり、ぎりぎりこの線で入店してカウンターの一番奥の席に陣取った客が食事を取っている間に腹が少しでも膨れたら、他の客が全部出てしまうまで外に出られないのであった。敢えて動けば、焼き鳥の串から肉やネギやシシトウやピーマンなどを外すように、客たちを横に掻き出すことになる。
「ああ、ああ、ああ、ガッシャーン」
地方の高校で演劇部にいて上京してきて、あるミュージカルの第何オーディションかまで残っていたのに、その有名な脚本家が入院先から無理を押して出てきたのに気付いて、ミーハー気分からその顔を見ようとした瞬間に足がつって転倒してしまって人生が狂ったと主張している店主が、まだまだ定年の歳でもないのに、喜望峰からハンメルフェストまでの自転車縦断旅行が長年の夢だった、体力のあるうちに出発するのだ、と称してさっさと廃業してしまったので、二度と味わえないのが悔しい。「隠し味は?」と聞いたことがあったが、この主人は吹き出しそうになって(何でよ?)、「言えねえ、言えねえ」と答えた。なーにが入っていったのっかなっ。何かをトリュフのように削って入れていたのかな?
「そればっかしは、ご慈悲でごぜえますだ」
少し話が飛んでいたが、この留学生の口癖のひとつは「スマトリー」だった。相撲取りではない。「見て」というロシア語であるが、注意を引くために、「ちょっと、あの」という感じで使うこともあるようだった。敬称を使っておくべき相手に対してなら、無難に「スマトリーチェ」の方を選び、さらに英語のプリーズに当たるパジャールスタも付けることが多いのだが、フランス語のtu、ドイツ語のduと並び、「きみは〜する」というニュアンスの表現の方が自然な場合には簡略にスマトリーと言うのである。英語にも、ドイツ語にも、フランス語にも、イタリア語にも、それぞれそのような表現はある。世界にたくさんの種類の言語があって良かった。色々な言語を選んで、死ぬまでたっぷり勉強できて楽しめる。
このコは、時々、私にスポットライトを操作させて部屋の中で立ち上がってはこのスマトリーと言って、ロシア語らしきことばの台詞を舞台俳優のように朗誦する癖があった。しかも、表情や姿勢に変化をつけ、声色を使い分けて数人の配役を演じ続けるのだった。「二人こまわり」のことは、マンガ喫茶かどこかで知っていたのだろうか。「スルシャエシュ」というのは、きっと「聴いてね」の意味だろう、と想像していたところ、その後、この推測が当たっていることが分かった。一幕が終わって彼女がお辞儀をした時に、聴いていたただひとりの観客であった私が音を抑えた拍手をしながら、今の戯曲は『桜の園』かい、と尋ねてみると、「いいえ、何のそのよ」と駄洒落が返ってきた。
彼女と一緒に飲む紅茶は、冷えてしまった後でもおいしかった。
「あなた知ってるかしら。お茶をchaとかchaiって発音するのは広東語の読み方から来ていて、日本、朝鮮、モンゴル、ロシア、イラン、トルコなんかではそういうのよ。thé、tea、tèなんて言うのは厦門方言が元になっていて、南アジアが中心だけど、ハンガリーから西も大体似た呼び方よね。それから、イギリス人はティーカップを持ち上げる時に、子どものころからの習慣で無意識に小指を上げるのよ」
「飲みます、飲みます」
「イギリスもロシアもアメリカも昔は子だくさんだったのよ。この国もそうよね。私の家族のこと、どこまであなたに話したかしら。父は8人兄弟の上から何番目だったか分かる?」
“Dunno.”
「9番目よ」
「何ですと、それ?」
「それで、吸盤、違ったわ。キューバン・ボーイズが好きだったのよ」
第17章 ロシア語にも手を出す(前半) https://note.com/kayatan555/n/n307da583a7e0 に続く。(全175章まであります)。
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