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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第117回 第89章 達筆の代償 (後半)
「先生、私はどなたのこともバカにしたことはありません。お言葉ですが、私は八坂神社のすぐ近くで生まれ育ったことを誇りに思っています。京都は千年の永きにわたって国の中心でした。今からほんの少し前の戊辰戦争の時に、御所を離れることに気の進まなかった明治天皇が、箱館にけしからん旧幕府軍残党が集結して、下手をすると蝦夷地に共和国を樹立して、国際的に主権国家として承認されてしまいそうな不穏な動きがあった時に、江戸・東京にこそ日本の正統な政権が確固として存在することを諸列強にアピールするために東幸されたんです。江差で榎本らのオランダ製の新鋭軍艦が沈没しなかったら一体どうなっていたでしょうか。しかし、その幕府海軍は政治主張以前に軍隊として基礎的な技倆不足で、保有していた軍艦を新政府軍からの砲撃が原因ではなく座礁で失った数の方が多かったんです。そんな集団に3000万人の日本国の民の統治を任せることができたでしょうか。江城はあくまでも、ご行在所に過ぎませんでした。一度だけ京に戻って来られましたが、その後、再び東京に仮住まいとなって、現在に至るまで4代に渡って定住しておられるだけです。近代日本はこの1世紀半という例外的なごく短期間、ひがしきょうと、ないし、あずまきょうと(東・京都=East Kyoto)に事実上の首都(de facto capital)を置いてはいますが、旧憲法下で遷都令は出されず仕舞いでしたし、103条まである現行憲法の中のどの条文でも、仮称・首都設置法なる名称の法律でも、首都の所在地を規定していません。肝心なことほど言語化しないままにしておく曖昧ジャパンの面目躍如たるものがあります。すると、いまだに我が生誕の地、京都市こそが日本国の正統な都であり続けていることになります。その都の雅なことばを『弁』などとおっしゃっていただきたくありません。京の、それも御土居の内側たる洛中のことばこそが、日本語圏全体を統べる標準語に唯一相応しい高潔な品格を備え、音韻的特性に優れ、麗しき伝統に裏打ちされているのですから」
「よく喋るねえ、きみは。そういう反抗的な態度ばかり取っていたから母校に残れなかったんじゃないのかね」
かような猿山ボス男教授の支配する教室から何か医学上のブレイクスルーが生まれる可能性は低かった。
父は厚かましい口ばかり出してきた親戚複数からあれこれ不当な負担や雑事を押しつけられているうちに、札幌と旭川の医大との往復生活による肉体疲労、勤務している病院での心労が重なって過労に追い込まれて若くして亡くなったのだ。理不尽な形で罹患していた複数の病気もあった。その屈辱的な事情については書く気になれない。しかし、母の父親で剣道の師範でもある祖父が健在であるため家業としての寺を維持できている。
第90章 お寺の実家 https://note.com/kayatan555/n/n1ffdf5c0efcf に続く。(全175章まであります)。
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