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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第17回 第15章 祖父に起きた大事件

 母が退院してきて、ボクに対する命名の儀式が執り行われた。贅沢なことだが、このために和室の畳を全部入れ替えて新品にし、障子も張り替えた。この簡素かつ静寂な空間での家族会議で私の名前は「丸原浄の助」に決まった。反対者はいなかった。既述のように我が家族では代々男児の名前に「浄」を付ける伝統があった。私の兄は浄一である(ちっとも浄くないのにさ。本人談では、この「一」の漢字を子どものころから毎日特別強く意識していたため、大学名にこの漢字が入っている一橋大学に進学することになった。だったら、もしも名前が浄二だったら、二の足を踏んだのだろうか)。ところが、父は私のこの浄の助という名前を半紙に筆で書こうとしても、負傷のせいでそもそも利き手の右手で墨が磨れず、筆を持つ力も弱くなっていた。それでも左手で墨を磨ろうとしたが、力の加減がうまく行かずに周囲に水をこぼしてしまった。薄い墨なら縁起が悪く、我が子の誕生にそぐわなかった。父は深い溜息をついた。
「わが子の命名を自筆でできないのか、おれは。何という悪いタイミングで怪我をさせられてしまったんだ。目からレーザー光線を発射して印刷するか。どんな字体でも自由自在だぞ。王羲之ので行ってみるか」
 だが、ここで父には誕生したばかりのボクの名前を、利き手の整った文字でなくていいから、無理矢理でも自分の手で書いておいて欲しかった。そうしておいてくれていさえしたら、その直後に起きた大事件の影響を受けないまま、ボクの名前は「丸原浄の助」に確定していたのである。実際父はいったん筆を持ってはみたが、普段文字を書き慣れていない左手では「さんずい」がバランス良く書けないことが分かった。そこで、その父に代筆を頼まざるを得なくなった。ところが、このボクの祖父が最後の一文字「助」を書いて筆を硯に置こうとした瞬間に、にわかに発作を起こして机の上に倒れてしまったのである。医学知識とドイツ語の詰まった重たい頭が大きな音を立て、ひたいからも出血した。その場は騒然となった。その光景の詳述は避けておく。一家の歴史の中でも最も悲しい記憶のひとつの場面だからだ。
 父は「お父さん!」と言ったのだが、祖父はひたいに青筋を立てながら両腕に力を振り絞って上半身を起こし、再び筆を持って半紙に向かおうとした。その筆先が「痛い」ではなく、はっきりとカタカナの「ン」に読める文字を付け足したところで、もう一度倒れた。今度は祖父は動かなくなった。すぐに救急車を呼んだが、近所でスポーツイベントが開かれている日で幹線道路に大きな網の目の形で交通規制がかかっており、通常より大幅に遅れて到着した。父が同乗して出発した時点で救急車の車体は白だったが、走行中に白、赤、白、白、白、赤と色が変わっていき、そのうちに白は出なくなり、赤に灰色が混ざり、赤が消え、病院に到着する1分半ほど前に真っ黒になっていた。窓も曇って外が見えにくくなっていた。祖父は助からなかった。その人生とボクの人生とが重なった時期はわずか数日間になった。祖父に抱かれたボクの泣きわめく動画と写真が残っているのがせめてもの幸運と言えるだろう。
 こうして、赤ん坊の命名どころではなくなってしまったのだが、数日後に改めて話し合いをした結果、祖父の絶筆を尊重することになり、ボクの名前に「ン」が追加されることになってしまったのであった。爺ちゃん、迷惑だよ、正直。オレ、この名前でどれだけ恥ずかしい目に遭わされてきたことか。相手に「ン?」て聞かれるんだ。

第16章 ロシア語専攻アメリカ人のカノジョ https://note.com/kayatan555/n/n370e20afedcb に続く。(全175章まであります)。

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