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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第71回 第58章 「憲兵隊長」セシリア  (後半)

(ここで目が覚めた。その瞬間に何か声を出したかどうか気になったが、回りの学生に尋ねるのも憚られた。しばらく夢と現実との区別がつかなかった。そっと辺りを見回すと、自分が図書館にいることから、祖父もセシリアも近くにいないことが確認できた。天井にも銃弾で空けられた穴もなかった。ああ、夢で良かった。寿命が縮まったぜい)。
 時々しか会えない別の大学、それも自分とまったく畑違いの医大の学生と、基本的に毎日顔を出している(定期も買ってあるし)自分の大学の他の学生と、どちらと親しくなるのが、より容易だっただろうか。実際、ボクは何人かの女子学生たちからモーションをかけられた。人生に余計な波乱要因が混入してきていた。
 外国人留学生との集いなるものが催され(「持たれ」)、ボクはそこで韓国人、カンボジア人、スペイン人、キルギス人、コスタリカ人、インドネシア人等々と知り合いになっていた。東京の国際化は怖いほどの規模とスピードで進行中である。カンボジア人は東京に住みたい、と言っていた。スペイン人は、自分の国に相当深い誇りを持ってはいたが、少しは日本人のようになって欲しい、と自国民に対して半分日本人のような口のきき方をした。外国語に習熟して行くと、その外国に過剰に肩入れして行くことがある。外見は変わらないのにである。キルギス人は日本人にしか見えなかった。
 ボクの横に座っていたアメリカ人の女の子に、鼻毛が震えているよ、と注意したら、そのコは「あなたみたいな日本人初めて」と言いながら、照れくさそうにゲラゲラ笑い出してしまい(余計なことを言うようですが、拙者は日本人ではなく北海道人です。私も留学生なのです)、それがきっかけとなってそれから半年以上も経ってから付き合うことになってしまったのだった。一種の舌禍である。あたしの青春に法定利息を付して返して。
 大学にはそれぞれ学生に対する要求がある。ボクの外語大で求められる努力は軽いものではなかった。その圧力の下で、ボクは在学中にドイツ語の民間の検定試験と国家試験のダブル合格を果たしたのだ。図書館の利用度だけを取っても、私は常に学年で1番か2番だったようである。たいていの学生は制限冊数一杯の書籍を借り出していた。貸出期間は2週間だが、これが毎回あっという間に過ぎて行くのだった。だから、本来、まともに学生生活をしていれば、相手が誰であれデートの時間など残るはずもなかったのだ。実際、カレンダーを見ても、どう工夫しても大学所在地から三浦半島まで往復していられる時間を捻り出すことは無理になって行った。会う場所が都内だったとしても事情はほとんど変わらなかった。
 そうしたある日の朝、ボクは午前6時台のテレビをつけて見ながらヒゲを剃っていた。仮に朝寝坊して剃る時間がなくなったとしても、毛抜きと手鏡を持って電車の駅に向かう訳には行かない。車内は混んでいるから。
(そういう問題ではありません)。
 次は柑橘系の匂いのシェービングフォームに変えてみよう。中国人ならスイカの匂いが好みかもな。あれっ、聞いたことのある声だぞ。

第59章 テレビ画面のセシリア https://note.com/kayatan555/n/ne86f5019abe3 に続く。(全175章まであります)。

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