ADHDの私の脳みそ。エッセイ-11
私はADHD。障害者手帳は2級。これが本来の意味での資格であれば、優秀なのだが、私の持つ手帳という物は生きる難易度の指標のように思える。
今日は、ADHDの私の脳みそを紹介してみようと思う。
毎日、私の頭の中は言葉が溢れかえっている。
動きに直結する”指示する言葉”と”意味のない言葉”たくさんの言葉だ。
どんな時もTPOも弁えず出てくる言葉達に翻弄される。
例えば、さぁ!今から仕事を始めようって時。
「まいまいぷぷ」「しゅみむむー」「善悪のましゅまろふらっぺ」
「時計の針」など、沢山の言葉が私を襲い掛かってくる。
脳内多動というものらしい。
それと同時進行に「まずパソコンを開いてデータを入力しないと」
「洗濯をたたもう」「食器洗いまだだったよね」
これらが同じ場所に並んでくるものだから、優先順位をつけようにも、
言葉達は逃げてしまって、なかなか追いかけられない。
やっと、行動に繋がるような言葉「洗濯をたたもう」を捕まえても、 今度は楽しい音楽が頭から離れない。 その音楽をどうしても聴きたくて、スマートフォンを開いたら最後だ。
Xを見たり、メールしたり、カレンダー開いたり、スターブロッサムの仕事をしたり・・・・あれれ?洗濯物は・・・・。 進んでいない。
そうやっているうちに、疲労が募って動きがとても鈍くなる。
頭が疲れて、とうとう消えてしまいたくなる。
これはうまく休憩できないから、身体が無理やりにでも休憩をさせようとしているのだ。
私の脳みそはおもちゃ箱みたいな状態なので、まだ遊ぼうとする。
しかし、目標意識があることに対しては別の動きをみせる。
例えば発達障害メイド喫茶スターブロッサムという実現したい目標がある。
その目標から、まるでにゅーうっとやるべきことが棒状に伸びて、
そのうち放射線状広がり、途中の目的と最終ゴール、課題の解決までの図表ができあがる。
明確な目標や、すごくやりたいことに関しては、スピード感と責任感を持って仕事をすることができる。
私の生きづらさというのは、『やらなきゃダメなんだけど日常的なこと』が普通の人以上にできない。
だから、日常的な動作に優先順位をつけることができずに、毎日どれから行えばよいのか、順番をつけたいのに、どうしてもそのようにできない。
あとは、何故か服が上手に着れない。
表裏もだし、左右も、ひっくり返ってしまうことがある。
物の判別が難しい。
同じような色や形のものだと、自分のものと人のものがわからない時があって、子どものように、しっかり名前を書いて判別をすることがある。
しかし、何故か整理整頓や片付けはできる。
好きなものを集めてしまい、物が過多になるのでシンプルなお部屋は程遠い。
片付けすぎて物がなくなってしまうことがあるのは、きっと判別の弱さが原因なのかもしれない・・・。
コンサータという便利な薬は、私の身体には合わず、自分で自分をコントロールしながら、はちゃめちゃな脳みその中からやるべきことを捕まえて、今日もなんとか過ごしている。
カウンセリングを受けたり、ヘルパーサービスに登録して利用を検討してみたり、『普通のこと』が遂行しづらい課題を解決しようと奮闘している。
皆より出来ないことが多いのではなくて、私の場合は『できるけど、かなり努力が必要で自分の脳みそと戦わないといけない』常に戦闘状態なのである。
なので、スターブロッサムでは6時間勤務で週5時間といった働き方は採用しないようにしている。だって、私ができないんだもの。
出来ないことに対して、やってほしいなんて言えない。
数時間でもいいから、自分の能力を十分に発揮できる時間や回数で活動してほしいと願っている。
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