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勉強する②『丸山遊郭の地形がわからない』

戦国時代から江戸時代に使われていて言い換えすると意味が変わってしまう用語や表現・表記が含まれています。現代の価値観に照らし合わせると差別的侮蔑表現になっている点に注意してお読みください。また、当記事は慰安婦問題、売買春問題、ジェンダーやフェミニズムなどの社会問題・運動などの有無や是非について語る意図はいっさいありません。

①で書いたように、丸山遊郭のことはふわっとした知識にも満たない知識しかなかったので「とりあえず丸山遊郭図を探そう」と思った。
吉原遊郭にはある区画内地図である。
が、画像検索しても見つからない。
こんなときは初心者にもやさしい論文が探せるサイトである、GoogleScholar(https://scholar.google.co.jp/)さんで検索してみよう!

『長崎丸山遊女の出自と年季明け(赤瀬浩)』という論文のなか(2頁)にそれはあった(下図) 

丸山遊郭内図

画像出展『長崎丸山遊女の出自と年季明け(赤瀬浩)

おわかりいただけるだろうか…「くずし字、読めない」問題が発生したのである。
ここで一緒にこの図を探し、更にGooglemapを使いこなす、賢者Sさんの技が披露された。のちに判明するのだが、この辺りは古くからの地形があまり変わっていないのである。つまり、現在のGooglemapと重ねると…「結構そのままの道が残っている」ことがわかってしまったのである。しかし元の図を拡大しようが何をしようが「くずし字、読めない」問題は解決しなかった。
これについては、前述したように道や区画に大きな変化が見られないこと。そして現在は風俗街ではなく、普通の住宅もしくは関係のない店舗が入居していることなどから店の並びや店名については特定しないことにした。
「なにを言っているのかわからない」と思われるかもはしれないが、吉原などと違い、現在も風俗街として活用されている土地ではない。この点について、現在の地域の方々のご迷惑になる可能性は排除する。

ところで、この図に描かれているものについての疑問点をいくつかあげたい。
・引用論文中の「東西は崖」
・引用区画図のなかにある「大門から寄合町を抜ける道のようなもの」はなに?
・丸山遊女が出島におもむく際に使用したといわれる「坂(経路)」はどこか?
最初はこの数点だけの疑問が、いまわたしを「GO TO 長崎したい」にさせているのである。

丸山遊郭の沼はふかい。

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