「財界貴公子と身代わりシンデレラ」番外編SS
財界貴公子と身代わりシンデレラの番外編SSです!
ネタバレを含むので、本編閲覧後にお読みいただくのが良い感じかとおもいます。よろしくお願いします。
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――フィルムはたっぷり持ったからよし、と。
孝夫はバッグを最終確認して微笑んだ。
今日は家族で箱根旅行だ。
四つになったばかりの誠一郎を連れ、三人で『新婚旅行』で泊まり損ねた例の旅館に一泊する。
誠一郎は旅館で眠れるだろうか。
多分何も気にせず寝てくれる気がする。ゆり子に似ているからだ。
「パパ、このでんしゃ、はじめてのる、おなまえメモして」
「大丈夫、忘れないから。ロマンスカーっていうんだよ」
「メモしてください!!」
「……はい」
有無を言わさぬ口調でメモさせられた。
――この子がこんなに興奮するとは……。
思わず口元がほころんでしまった。一駅ごとに駅の名をメモさせられながら箱根に着く。誠一郎は大はしゃぎだ。
「パパ、でんしゃ、たくさんある」
「これから一番珍しい電車に乗るんだよ」
ゆり子の大大大大大好きな箱根登山鉄道を指さすと、誠一郎が大きな目を丸くした。
案の定一駅ごとに降りたいとぐずる誠一郎と『降りてもいいのでは?』と言うゆり子を宥めながら、なんとか宮ノ下駅までたどり着く。
ゆり子と誠一郎は手を繋ぎ、一目散に走っていった。
孝夫は落ち着きがなさ過ぎる二人が大好きだ。親馬鹿、夫馬鹿だが、世界一可愛い妻子だと思う。
笑いながらカメラを構えて後ろ姿の写真を撮ったが、二人は止まらなかった。
どうやらパン屋に入るらしい。あの日と同じ佇まいで、置いてあるパンも変わらない。二人きりで訪れたこの店に、新しい大切な人と訪れるのだと思うと胸がいっぱいになる。
ゆり子と誠一郎はきゃっきゃとはしゃぎながらパンをどんどん取っていく。
残ったのを食べるのは孝夫なので慌てて制した。
「食べられる分だけにしよう」
孝夫の提案にゆり子が反論した。
「大丈夫よ、食べられます」
「せいちゃんもたべられる」
――君たちの『大丈夫』はあてにならないんだよ。
孝夫は笑いを堪え、ほどほどの量のパンをお盆に載せてイートイン・コーナーに向かった。
「さて、誠はどれを食べるの」
優しく聞くと、誠一郎がきっぱりと言った。
「ぜんぶ、さんぶんのいちにしてください」
四歳児のくせに、難しいことを知っている。息子は天才なのかもしれない……そう思ってゆり子を見ると、なぜかむずかしい顔をしていた。
「一番難しいパターンを頼まれたわ」
「何の話?」
「長円や四角のパンを全て正しく三分の一にするのは至難の業なのです。カレーパンには具もあるし……どうすれば平等が実現できるのか……」
ゆり子は深刻な顔をしている。誠一郎はじーっと母の顔を見守っていた。
「どうすればちゃんと三分の一になるかしら。待っててね、誠ちゃん、ママ今から考えるから」
なぜゆり子は誰にでも誠実なのだろう。さすがに四年前、息子の名前を『誠実な感じにしたい』と言い張っただけはある。
「冷めるよ」
そう忠告すると、ゆり子はハッと我に返って誠一郎に尋ねた。
「ちょっと大きさがちがってもいい?」
「いいよ、ママが、おおきいのたべていいよ。だってママ、パンすきだもん」
――優しいな……。
親馬鹿な孝夫が胸を熱くした刹那、ゆり子が呟いた。
「やだ誠ちゃん……優しいこと言わないで」
どうやら、夫婦揃って年々親馬鹿が悪化しているようだ。今回の箱根旅行も、夫婦の親馬鹿を確認するだけの旅になりそうな予感がした。