罪の鎖に囚われて SS
2019年4月に二見書房ハニー文庫様より刊行頂いた
「罪の鎖に囚われて 公爵は哀しき乙女に愛を乞う」のサブキャラの番外編です。
ネタバレありますので、本編をお読みいただいた後にご覧いただけると嬉しいです~。
本編の試し読み(冒頭:pixivノベル)
https://novel.pixiv.net/works/1689
本編の試し読み(Rシーン:公式サイト)
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「罪の鎖に囚われて セラン編」
某氏がヒロインの幸せな結婚を見届けた後……くらいのストーリーです。
彼は不幸のどん底だったけど今どうしてんの? 的な話です。
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――僕は断じて不良大教父などではない。
総本山のバルコニーで紙巻き煙草を吹かしながら、セランはため息を吐いた。
セランは、カザン聖教会の『医療奉仕』の総責任者だ。肩書きだけ見ると『病人を心配する慈悲深い聖職者様』のようだが、実際には複数の巨大病院および製薬会社を統括・監視する仕事に等しい。
責任が重くて重くて重くて重い立場なのだ。
息抜きくらいさせてほしい。煙草など吸ったら肺病になって寿命が縮むと部下は言うが……そうなったら献体するので是非解剖してほしいと思う。
――ここはミラマーよりずっと暖かいな……。
部下からは『大教父様はいつも薄着すぎる』と言われるが、暑いのだ。ミラマーは、いつも冷涼で晴れ渡っていて、空気も水も澄み渡っていた。もうあの故郷へ帰る日は来ないだろう。
セランは手首に下げた粗末な革紐と、その紐に通した小さな銀の板に目をやった。
五つの板がぶら下がっている。
これはミラマーの子供が十五歳になるときにもらうお祝いの品だ。
生涯お守りになるから、身につけずともどこかに仕舞っておくように……そう言われて、渡される。
セランの手首で鈍く輝くのは、父の、母の、姉の、妹の、そして、自分の飾りだ。
生まれた家を捨て、姓を名乗ることを止めたセランには、家族の生きた証はもうこれしかない。
夫と子供達を心から愛した母、母を助けるために命を燃やし尽くした父、弟妹のために自らを売った姉、そして家族の非力に憤り、神の教えを失った妹。
最後に残ったのは、父譲りの頭脳を譲り渡し、聖教会の部品となったセランだけだ。
人は大いなる何かを得る代わりに、同じくらいの宝を失うという……。
――僕の地位は、家族をこの飾りにするのと引き換えに、得られたものなのかもしれないね。
セランは手首の飾りから目を離し、もう一度煙草を吸った。
今抱えている莫大な数の課題をぼんやりと思い浮かべ、頭の中で優先順位を付けて、『見捨てる』べき問題を決定する。その問題の中には多数の人間の命が含まれているが、セランには全てを救えない。セランの指先をこぼれた命は、きっと名前のない神が救って下さるに違いない……。
神様の下で働けて、本当に良かったと思う。
妹を誅した罪悪感も、神様が持って行ってくれた。『彼女は神に逆らったのだから仕方ない』と、妹を告発したセランの心を優しく抱きしめてくれた。
この教会に居る大教父の誰が、心から神の存在を信じているのだろうか……。
ただ、都合の良い存在に縋り、自分を許す道具として神様を『利用』しているだけなのではないか。
――だめだめ、何を考えているの、僕は……。
ふとそんな想いに駆られ、セランは慌てて打ち消す。
熱心な信徒は馬鹿ではない。
セランのふとした表情から不信心を見抜いて『大教父様』がおかしいと騒ぎ立てるだろう。
――信じる、信じる、信じる……。僕は生涯、神の道具としてこの世界の平和を祈り続ける人間なんだからね。
目を瞑り、そう言い聞かせると、いつもの自分が戻ってきた。煙草の煙が肺に絡みつく嫌な感じが、現実はいつだって苦くて不愉快だったと思い出させてくれる。
「さて」
己にまとわりついているのは、無数の罪悪感で編まれた罪の鎖だ。セランがこの鎖から解放される日は生涯来ないだろう。
だが、罪の鎖に囚われても、セランは聖教会の『優れた部品』として生き続け、不器用な手で拾い上げられるだけの命を助ける。そのくらいはもう、覚悟した。
失敗したセランを慰めてくれるのは……きっと、神様だけだろう。だからセランは、神様を愛している。実在すら疑わしい存在を、本当に愛しているのだ。
――僕以上に神様に縋っている男は、他にいないかもしれないね。ああ、神よ、僕はこれからも、この世界の優れた道具であれますように……。
セランは携帯用の灰皿で紙巻き煙草の火を消すと、大きく息を吸い込む。手首で五つの飾りが小さな音を立てたが、セランはもう、その飾りに目をやることはなかった。
~完~