氷獄公は聖女を奪うSS No.2~新年の儀式~

二見書房 ハニー文庫さまより発売していただいた、

拙著『氷獄公は聖女を奪う』の後日談SSです。

ネタバレありですが、本編共々、楽しんでいただけると幸いです♡

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よろしくお願いします。


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キャラ説明(ネタバレ有)

マクシミリアン
氷獄リクドーヴナの領主。ガタイのいいお兄さん。嫁のソフィーヤに心底惚れ込んでおり『貴女は生きているだけで完璧』と思っている。がさつなようで意外と頭が回る。あと、質素に見えて大富豪。俺様がリクドーヴナのボスだ!という意識が強く、自分のお金は領地に投資している。

ソフィーヤ
とある理由で氷獄へ流刑された元聖女様。リクドーヴナの生活にはまだ慣れないが、マクシミリアンを手懐けているので領主夫人としては100点である。あんまり器用ではない……とても器用ではない。

双子(ユーリィ・ラスカー)
二卵性双生児。どっちもよく働く。ユーリィは美しかったママ似で女の子みたいな顔。ラスカーはお兄ちゃんそっくりです。マクシミリアン兄上とはとっても歳が離れていて、まだ12歳でかわいい。

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 新年、一日目の朝。
 領主夫妻の結婚式を控えたリクドーヴナでは、新しい年を迎えたお祝いの祭りが開かれていた。
 マクシミリアンは、何かの儀式の準備を始めたようだ。
 ソフィーヤは、顔に塗料を塗っているマクシミリアンに尋ねる。
「マクシミリアン様……そのお顔は……?」
「この模様が顔に描いてある間は、俺の身体に精霊が宿るのさ」
 ――精霊……?
 目にも鮮やかな色で塗り分けられた夫の顔を見て、ソフィーヤは首をかしげる。
 鼻筋は緑で、目の周りは赤。頬にも赤い線を不思議な形で何本も入れ、額にも赤と緑の不思議な模様を描いている。
 迷いのない手つきを見るに、どうやら描き慣れているらしい。
 ――恒例行事なのかしら?
 その時、部屋の外から声が聞こえた。
「あー! もう! ユーリィが引きずるから毛先が絡まったじゃんか!」
「なんだよ! ラスカーの持ち方が悪いからぐしゃぐしゃになるんだろ!」
 巨大な毛束を抱えて部屋に入ってきた双子が、いつものように喧嘩を始める。
「静かにしろ」
 鏡に向かって筆を動かすマクシミリアンに一喝され、双子がぴたりと言い争いを止めた。
「だってラスカーが!」
「ちがうよ。ユーリィが『リクドの髪』を引きずったんだよ」
「うるさい。絡まっているなら、二人で早く直してくれ」
 兄の命令に、双子がサッと床に置いた大きな毛の塊の前にかがみ込む。
「絡まったところだけ切ろうか」
「これ、保管してたときから絡まったんだね。湿気だね」
 ソフィーヤは不思議に思い、巨大な毛の塊を二人の背後から覗き込んだ。やや生成りがかった白い毛の塊に、無数の赤と緑の毛束が混じった謎の物体だ。赤と緑の毛束は、細い三つ編みになっているようだ。
「お二人とも、なんでしょうか、それは……」
 ソフィーヤに問われ、双子が嬉しそうにぱっと振り返る。
「これはリクドの衣装だよ! 五十年以上前に作られたんだよ!」
「領主は新年に、リクドの扮装をするんだ。それでみんなのおでこに『火除けのお守り』を描くんだよ。夜中までかかって皆に描くんだ。それを描いて貰うために、遠い領地から命がけで来る人もいるんだよ」
「冬は、火事が一番怖いもんね……雪じゃ火は消えないし……本当に怖いよ……」
 ソフィーヤは首をかしげて双子に尋ねた。
「お二人とも、教えてください。リクドとは何なのですか?」
 双子は顔を見合わせ、ハキハキと答えてくれた。
「火の精霊だよ。冬のリクドーヴナの一番の災厄は火事なんだ……だから、火の精霊リクドに『お前の家は火事にしない』って約束をもらうの。兄上の顔を塗っているのは、リクドを身体に呼ぶためのおまじない。あの模様を描いている人間は、リクドを身体に降ろせるんだって」
 ソフィーヤが頷くと、ユーリィがひどく深刻な顔で言った。
「ただし、リクドを呼べるのは、人間達の長であり、心が立派な人物だけ。この条件に当てはまらないと、顔に模様を描いてもリクドは来てくれないんだ」
「今年の兄上は大丈夫かな……ちゃんとリクドを呼べるかな?」
 双子が心配そうに囁き交わす。
 マクシミリアンが咳払いした瞬間、二人は口をつぐんで再び毛束の処理に戻った。
 ――本当に要領がいいわ。
 微笑むソフィーヤに、ラスカーが教えてくれた。
「この毛束は、精霊の宿し身になる人間が被るんだ。白い毛の中に、緑と赤の三つ編みがあるでしょ? これは雪と森の中で燃える火を表しているんだ。リクドの象徴なんだよ」
 ソフィーヤは感心して頷いた。
「そうなのね、ありがとう。お二人は本当に何にでもお詳しいのね」
 ソフィーヤに褒められ、双子がくねくねしながら互いに顔を見合わせて笑い合う。彼らにとっては当たり前の知識を褒められ、とても嬉しかったらしい。
「ねー、ラスカー、これ終わったら額の火事除けの顔料も用意しないとさ……」
「予備の顔料の缶は、開けてから持っていこう。あれ、大きな缶切りないと開けられないからさ」
 双子は何やら話し合いつつ、見事な手際でモサモサになった毛束を解いていく。
 ソフィーヤも毛束の隅にかがみ込み、絡まった毛を解く手伝いを試みる。だが、双子の器用さにはまるで及ばなかった。
「おい、どっちか、右側がうまく塗れないから手伝ってくれ」
「いいよ!」
 マクシミリアンの声に、ユーリィがぴょいと立ち上がる。そして、彼の手から大きな筆を受け取って、サッサッと滑らせ始めた。
「お、うまいうまい」
 マクシミリアンは弟の手際に満足そうな声を上げる。
「兄上、これ、顔料もっと水溶きした方がいいよ。だからこんなに毛穴が目立っちゃってるんじゃんか……」
「ん、適当にやってくれ」
 ユーリィは置いてあった飲み水を顔料の皿に移し、真剣な顔で混ぜ始めた。
 彼の顔は塗りつぶされてすごいことになっている。あの塗り方だと、顔が本当に緑と赤に変わってしまったかのようだ。
 ――いったい、どんなお祭りなのかしら……。
 ソフィーヤは、不思議な模様の顔になった夫と、てきぱきと準備をこなす双子を、指を組み合わせて見守った。


 かくして『火の精霊リクド』を呼ぶために顔を塗り、毛束を抱えた夫に従い、ソフィーヤは大洞穴へ赴いた。相変わらず寒いが、温度が一定で不思議だ。洞穴の巨大な広間にはかがり火が焚かれ、たくさんの人たちが集まっている。
「お! 来たぞ、今年のリクドが来たぞ!」
「今年のリクドはようやく嫁連れだな!」
「あらー、いいじゃないの、領主様、リクドの顔よく似合ってるわぁ」
 マクシミリアンが現れると同時に、人々が近寄ってきて口々に声を掛けてきた。
「兄上、衣装着替えて」
 双子がマクシミリアンの上着を脱がせ、赤く染めた毛皮で作った、袖口の広い変わった形の上着に着替えさせる。
「あー、顔が乾いてきて痒い……」
 マクシミリアンのぼやきに、ラスカーが懐から小瓶を取り出し、中身を掌に広げて、兄の顔にぺたぺたと押し付けた。どうやら保護油のような物らしい。彼らの慣れた動きを見ていると、この祭りは昔から長く繰り返されてきた物なのだ……と分かる。
「また痒かったら言ってね」
「ありがとう。よし、じゃ、やるか」
 マクシミリアンが、意を決したように巨大な毛束を被った。広げてみると、大量の毛を貼り付けた巨大な布だと分かる。
 どうやら『リクドの扮装』は、天幕のような仕組みになっているらしい。
 大量の毛を貼り付けた布を支柱で支え、マクシミリアンをその中央に座らせるのだ。
 準備には、慣れた男性達が手を貸してくれた。
 男達は、柱が出っ張りすぎだの、領主様がでかいだのと軽口を叩きつつ、長い毛で覆われた小さな天幕を張り終えた。
 椅子に腰掛けたマクシミリアンの背に合わせて貼られた小型天幕は、彼専用のヴェールのようだ。
 天幕の合わせ目からは、赤い毛皮と、赤と緑に塗られた端正な顔が覗いていた。
 マクシミリアンの全身はかがり火の光を照り返し、ひどく神秘的に見える。
 こんな扮装を見るのは初めてだ。宝飾品一つないのに、圧倒的で、荘厳な印象を受けた。
「本当に……大がかりな扮装ですのね……」
 ソフィーヤは思わず、感激の声を上げた。
「すごいだろう? 得体の知れない存在に見えるだろう?」
 マクシミリアンが楽しげに笑った。
「本物の精霊のようです、すごいわ……」
「元がいい男だからだぞ?」
 マクシミリアンが満足げに口の端を釣り上げたとき、声が聞こえた。
「もう、火除けの印を描いてもらえますか!」
 どうやら、マクシミリアンの支度が終わるのを待っていた領民らしい。
「おう、いいぞ、並んでくれ」
 マクシミリアンの答えに、リクドの扮装を手伝ってくれた男性達が一斉に声を上げた。
「リクドの火除けが始まるよ!」
「皆、並んで! 脚の悪い年寄りと、赤ん坊がいる人は優先だよ!」
 ソフィーヤは、椅子に座って筆を手にした夫から少し離れた。どんどんと『リクド』の前の列は伸びていく。マクシミリアンは目の前に跪いた人、一人一人の額に、何やら赤い顔料で印を描いていった。
 時折休憩を挟み、天幕をどけてもらって背伸びして、水を飲んで軽食を摂って……それでも列は途切れることがない。
 小休憩の間、ソフィーヤはマクシミリアンの腕を揉みながら尋ねた。
「お疲れになりませんこと……?」
「疲れた。けれど、昔から続いている大事な行事だし、最後まで丁寧に付き合うのが俺の仕事だ」
 マクシミリアンは、目にみえない物など信じない現実的な男だ。おまじないで火事が防げるなんて思っていないに違いない。
 だが彼は、真剣に小さな天幕の中で身を縮め、顔のかゆみに耐えて、ひたすらおまじないの印を書き続けている。
 マクシミリアンに火除けの印を描いて貰った領民達は、安心した顔で『今年も火事にならずに済む』と『リクド』にお礼を言って帰っていく。
 最後の一人が帰ったのは、もう、真夜中近い時間だった。
 付き添いの人たちも、手伝いを頑張った双子も、眠そうにあくびをしている。
 マクシミリアンは天幕をどかして立ち上がり、思い切り背伸びをして笑った。
「さ、俺の身体に入ったリクドが、今ようやく帰ったようだ。俺たちも撤収しよう」
 ソフィーヤは何気なくマクシミリアンの顔を見上げ、はっとなった。あんなにしっかりと描かれていた顔の線が、ぽろぽろと剥がれ落ちていったからだ。
 ――顔に模様を描いた、宿し身にふさわしい人間だけが、火の精霊リクドを呼べる……。
 双子の説明を思い出し、ソフィーヤは言葉を失う。
 火除けの印を描き終えた途端に、あの模様が剥がれるなんて。さっきまで、ヒビ一つ見当たらなかったのに。
 唖然とするソフィーヤの前で、マクシミリアンが自分の顔を撫でまわしながら、何気なく言った。
「今年も無事に、火の精霊は来てくださったようだな」
 双子は当然のように頷く。
「毎年必ず、終わると模様が剥がれるよね。不思議だね」
「兄上、ちゃんとリクドが来てくれて良かったね」
 マクシミリアンが両手で顔を叩くと、乾ききった塗料の大半が粉になって落ちていった。その様子を見ていた手伝いの男達が、マクシミリアンに深々と頭を下げる。
「お疲れさまでした、領主様」
「今年の火除けのまじないもつつがなく済んで、何よりでございます」
 ――お顔の模様が、ほぼ完全に取れてしまったわ……!
 あまりの不思議さに目を丸くしたままのソフィーヤの肩を抱き、マクシミリアンが茶目っ気のある口調で囁きかけた。
「な? ソフィーヤ。極寒の大地は神秘的な場所だろう? 俺に嫁いできて良かったよな?」

~完~

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