深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ

自分は普段ホラー映画を観ないのだが、友人の熱烈なる勧めで「残穢~住んではいけない部屋~」を鑑賞した。そんなわけで感想を書こうというのだ。

ホラー系というのは恐ろしく、狂気的で観客を驚かせるだけのものだと思っていたのだが、いやはやこの作品の文学的構成力たるや。そして、日常生活の中に潜む、摩訶不思議な出来事を映像として表現する描写力も素晴らしいものであった。

しかし、なによりもこの作品が優れているのは観客のいる現実と映画という虚構の間にある隔たりを取っ払ったことであろう。

これは呪いのビデオが伝染していくという「リング」にもみられることだが、現実と虚構の壁をなくしたことで本来、無関係で安全なはずの観客たちは虚構に引きずり込まれるのである。このことは次の台詞で表されている。

「聞いても祟られる。話しても祟られる。」

この言葉は作品の途中、ラストと繰り返し用いられている。これを聞いた時すでに我々は「残穢」に巻き込まれてしまったのだ。

そして「残穢」に巻き込まれた人間はどうなるか。

等しく、”死”、に近づくのである。怪談を信じる人、信じない人。穢れに直接触れた人、触れていない人。みな、”死”の愛人となるのだ。

さて、一番の美点を語ったわけだけれども脱線をしてしまった感が否めないからもう少し他の部分をまとめるとしよう。

この作品はかなり深い作品だ。というのも現在の出来事が過去に由来するもので登場人物たちは、様々な人に聞くことで過去へ、真相へ近づいていくことになる。初めは手がかりがないに等しいのにだんだんと穢れの方から近づいていくかのごとく大量の事柄が結びついている。まるでブラックホールに落ちるのかのように一気に引きずり込まれる展開に僕はある種の快感を得た。

そしてラストシーン、ここで興味本位で闇に近づいた人間がどうなるのか、あえてすべてを示さないことで引き算の恐怖ともいうべきインパクトを与えているのだ。

常日頃と変わらない、そんな毎日の中に、ひっそりと闇が眠っている。そして一度、パンドラの箱を開けたのならば、もうそれから逃れることはできないのだ。

ここまでのべつ幕なしに語ってきたわけだけれども、何が言いたいかというと、この作品は一見の価値があるということだ。普段ホラーを観ない人は特に、だ。

さて、夜も更けたことだし、僕は布団をかぶって寝るとしよう。南~無~。


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