生きているだけで価値がある
私は、多分とてもけなげに生きてきた。気が付けばもう50代。
それは私だけではなくて、みんな健気に生きているんだということも知ってる。それが精いっぱい。今の精いっぱい。
人は、無垢で生まれて、両親の価値観の中で、育てられ、自我が芽生え苦しみも体験していく。
私が子供を産んだ時、その命に、喜びしかなかった。
あなたは生きているだけで価値があるというのは本当だ。みんなそのように生まれたのだ。
価値がないと誤解していくのは、育つ過程にある。無価値観にさいなまされて生きれば、鬱にもなるし、不安症にもなろう。育つ環境が大切というのはそういうことでもある。
戦時下で命の重みが減らされて生きてきた祖父母の時代。子供の価値がナンバーだった時代。子供の死亡率が高く、跡取りの保険もかねて多産だった時代。その時代の人たちから受け継がれていく負の感情というもの、家族の秘密というもの。そんなものも環境のうちだ。
捨て子とされた人、戦争孤児。
養子に出された人の、なぜ?
離婚した親に引き取られなかった子供。祖父母の元で育つなぜ?
そんなことを抱えた人は
痛みと共に生きてきたでしょう。
不安も怒りも悲しみも。孤独も恐れも。
なかったことにしていても、身体のどこかが覚えている。
そんなことがなかったとしても、両親の怒号が飛び交う家で育つとか、
条件付けでしか自分を認めてもらえないとか。
それも恐ろしく、悲しいことだったでしょう。
でも、人はこの世に産み落とされた時、その時点で価値は十分にあって、あなたの命は尊い。
もし、愛されている実感がないとしたら心は不安定さを増幅させる。けれど、それは愛を受け取れていないだけかもしれない。
辛さや、苦しみ、悲しみで痛みがあるのは、何のためだろうか?
なぜ怖いのか、なぜつらいのか。なぜ悲しいのか。
そんなことばかりを考えた子供時代。
無価値観でいっぱいだった、苦しい青春時代。どれもこれも、楽しかったことを忘れさせるほど、大きな痛みだったけれど。
幸せになってはいけないと思っていたことに気が付いて
幸せになってもいいんだと許可をしてから
いつの間にか幸せな大人になった。
子供が生まれてますます、無価値観はなくなって。生まれてくれた子供たちが私の価値を上げてくれたかもしれない。
子供たちは立派な大人になって巣立っていった。自分でおまんまが食えるのがゴールだったから。それも見事に果たしていった。
愛おしくて頼もしい子供たち。生まれた時からずーっと。きっと死ぬまで私は彼らの母だ。
母として妻として十分ではないかも。とは思うことはあったけれど。
幸せだった。今も幸せだ。
幸せはなるものでなくて感じるものだということも、もうこの年ならわかっているし。誰かにもらうものでもなくて自分次第ということも、分かるようになった。
もがいていても楽しんでいても、いつの間にか50代はくる。だったら、もがかずとも、楽しめる人生でいいではないか。甘いことを言っている人に喰ってかからなくても。甘い人は甘く生きられる人なんだから。そんなに我慢しないで。
我慢して自分を抑えるのが美徳と思うなら、それがあなたの選択であることも知っておけばいいではないか。
人生は長いようで短い。
もう、自分自身を精一杯生きていくしかないんだよ。生まれたままの価値をもって。